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4歳の誕生日-死ぬまでにしたい10のこと【A】-

3歳から4歳の1年間でできるようになったこと。

オムツが取れた。
身長が8センチ以上伸びた。
生魚が好きになった。
水を怖がらずにプールに入れた。
少しひらがなをおぼえた。
恐竜の名前をたくさん憶えた。
映画をたくさん観た。
歌をたくさん歌えるようになった。
洋服を自分で脱ぎ着できる。
階段を3段くらい上からジャンプできる。
ストライダーに上手に乗れた。
世界地図で日本の場所をおぼえた。

4年前のその日、息子が生まれた。
分娩台の上で、10か月に渡りお腹の中で命を育んできた、ずっと待ち望んでいた我が子に、ついに会えるのだと思うと、言い得ぬ高揚感に涙が溢れた。
その日、私の子ども、私たちの子どもが、高らかに声をあげて、この世界で最初の呼吸を始めたのだ。

そしてそこから4年をかけて、生まれた時の2倍を超える身長、5倍を超える体重になった。できなかったことがたくさんできるようになった。
子どもの成長はあっという間だと言う人もいるけれど、それでも息子がいる生活はどの一日も大切で、決してあっという間だとは思わない。楽しい思い出を積み重ね、親として彼を見守り続けられる幸せは人生最高の宝物だと思える。

4歳の誕生日は、義理の両親も自宅に来てくれて、賑やかに過ごした。
プレゼントは、大きな地球儀と息子が主人公になったオーダーメイドの絵本、恐竜のアニアとビッグフォールマウンテン。
ケーキも、スピノサウルスやステゴサウルスがのった特別なチョコレートタルトをオーダーした。

息子は大興奮ではしゃいだ。
大好きな両親と祖父母に囲まれて、大好きなおもちゃと大好きなケーキを堪能できる。
彼はきっと、とても幸せな子どもだ。彼の幸せが私たちも幸せにする。

私はカウチにもたれかかり、嬉しそうに遊ぶ息子を見ていた。
父親も祖父も祖母も、彼を大切にし、彼を愛している。
愛に溢れた人たちに見守られて育てば、きっと彼はしっかりとした大人になる。

なんだか私はとても満足で、なんならこのまま目を閉じて人生が終わっても、全部みんなに任せれば安心して旅立てるのではないかという気持ちさえしてきた。
そんなことになったら、息子はきっと泣くし、夫は困惑するだろう。
ごめんね。でも、きっと大丈夫。そんな気持ちになってきた。

できたらこれくらいの気持ちで、この先の不安や焦りや痛みや苦しみを受け流していけたらいいのに。

16年前、私はこんな記事を書いた。

原題が「my life without me」だと知って、少し納得した。
「私のいない世界」、余命が2ヶ月と知ったとき、人が考えるのは、その残りの2ヶ月ではなく、自分が死んだ後の時間だということだろうか。
だから、自分を必要としてくれる人のために、その人たちの幸せのために何ができるかを、考えようとするのだろうか。

私の人生はたぶんあと2か月というわけではないと思うのだけれど、それでも、16年前に想像したよりは短くなってしまう可能性がでてきてしまった。
それがどれくらいかを予言するような言葉は書きたくない。
ただ、自らの命に対して、覚悟をもって生きなければいけない状況にはある。

そして私は、やはり今、「私のいない世界」について考えている。
私がいない世界で、だけど私の思い出を抱えながら生きる人たちについて、考えている。

息子に対してできること。夫に対してできること。
もちろん、私が生き続けることこそが、彼らをできるだけ悲しませない方法だということは理解している。だから、私は生きるために、やれることはなんだってする。

でも一方で、もしものとき、残酷な運命が私を連れていく日が来たら、その後に残される夫と息子のために、私に何ができるか。

だから、私はnoteを書く。
5歳も、6歳も、7歳も、この先何歳でも、何年でも、彼の誕生日を祝うために。
彼があきれるくらいたくさんの記事を書いて、彼がその中に、私を見つけるといい。大人になった彼が私を見つけて、そこで会話しよう。

私は人生の最後の日、誰と一緒にいたいと思うのだろう?
本当にその日が来たら、頭をよぎるのは誰なのだろう?
そしてその人に一緒にいてと伝えることができるだろうか?

これに対する答えに、何の迷いもなくなった16年の月日に感謝する。

■16年前のブログの記事

■16年後の答え合わせ


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