見出し画像

思い出をしまう場所-みんなのいえ-

この間、若い建築家と知り合った。
彼は、日本とイギリスの建築学修士を持っているけれど、建築士免許を持っていないのだそうだ。

それで設計はできるの?

と思ったら、なくてもできるらしい。
パートナーに免許を持った人がいれば、それで済むし、彼がデザインしたものを設計事務所で図面を引いて届出することも可能だ。

そういえば、そういう映画があった。
三谷幸喜脚本、監督の「みんなのいえ」。
家を建てたい若夫婦が、建築士免許のないインテリアデザイナーにデザインを頼み、施工を妻の父親の大工の棟梁に頼む。
設計図はきちんと免許を持った、建築設計士がひく。

「家を建てる」と言ったとき、主語は誰か?

家主。大工の棟梁。デザイナー。設計士。

いずれも家を作る人。
自分が家を作っている、という自負がある。
こういった登場人物がお互いに、それぞれの事情でぶつかり合いながら、一軒の家が完成していく過程を描く。

それほどに様々な想いがぶつかるのは、家が一生モノの買い物だからであり、そしてそこに実際に人が暮らし、泣き、笑う生活空間、あるいは人生劇場そのものだからだろう。
おしゃれな家に住みたい、でも機能性も大事、耐久性も大事、その上お値段も大事。
お父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、子どもたちだって、ポチだって、一言言いたい。
わがままを譲れない。

どこのうちでもありそうな話だ。

小学校5年のとき、うちんちは新築の家を建てたけれど、私の部屋の壁紙をどうするかと言われて、分厚いカタログを渡されたことがある。
ページをめくり、長い時間をかけて、考えに考え抜いて私が選んだのは、パステル調の円や四角が一面にちりばめられたデザインだった。
けれど、「よしわかった」と両親は言ったのに、完成した部屋の壁を見たらかわいらしい花柄模様になっていた。
「どうして!どうして!」と反発してみたが、「こっちの方がいいんだよ」と冷たく切り捨てられたのは、なんだったのか。
だったら、最初から訊かなければいいのに。

とはいえ、自分の部屋が手に入ったのは、少し大人になったような満足な気分だった。
引っ越す前は弟たちと同じ部屋に机を並べ、二段ベッドに寝ていたけれど、新しい部屋には私ひとりのための押入れ、私ひとりのための出窓、私ひとりのためのベランダがあった。
そうだ、私のためのピンク色の電話もあった。

ベランダから見渡す風景は、田舎ならでは田園の緑、ざわつく森、ひるがえる風、走り行く赤と白の電車。
壁に掲げたお気に入りのカレンダー。
名前をつけて呼んでいたうさぎのぬいぐるみ。

友達と喧嘩した日、ベッドに寝転び、わけもなくただ見つめていた室内灯のあかり。
風邪を引いて寝込み、悪い夢にうなされて深夜に目を覚ましたとき、ポルターガイストのように天井と家具が迫ってくるような恐ろしい錯覚。

寒い朝はなかなか起きられず、ベッドにもぐって、階下から母親が呼ぶのを恨めしく思った。
受験生のときは、部屋の真ん中にコタツを置いて、ラジオを聴きつつ、うたた寝しつつ、昼も夜も勉強に励んだ。

長電話すると、親が部屋まで来て、不機嫌そうに睨んだ。
少女小説を深夜までこっそり読んだ。
毎日のように姿鏡に自分を映して、膝下がまっすぐになるよう立つ練習をした。

書き連ねれば、次々と浮かぶ、数え切れない思い出。
今の今まで忘れていたことも、途端に鮮明に蘇るから不思議だ。

父のこと、母のこと、弟たちのこと、おじいちゃん、おばあちゃんのこと。
いっぱい思い出す。

全部あの部屋の出来事。
あの家の出来事。

あの家に、私が暮らしたのは8年間。
そこを出てから、もう10年以上が過ぎたけれど、小学生から中学、高校と過ごした8年は、誰にとってもそうだろう、私が私になっていったコアな時間だ。

家がいえになっていくのにも、時間が必要なのかもしれない。
そこに人が生活し、小さなドラマを繰り広げて、そうして家は、いえになっていく。
みんなで作る、みんなのいえ。

現在、あの部屋は物置状態で、実家に帰っても私は客間に布団を敷いて寝る。
隠れこむ場所ではもう、なくなった。
今は、思い出をしまいこむばかり。

年末に実家に帰ったら、久しぶりにあの部屋を覗いてみよう。

みんなのいえ(2001年・日)
監督:三谷幸喜
出演:唐沢寿明、田中邦衛、田中直樹、八木亜希子他

■2004/11/29投稿の記事
昔のブログの記事を少しずつお引越ししていきます。

サポートをいただけるご厚意に感謝します!