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疾走の行方-ラン・ローラ・ラン-

8月に「死ぬまでにしたい10のこと」の記事に、余命2ヶ月と知ったとき自分がどうするか分からないと書いた。
今だったら私の答えは決まっている。(どういう答えかは内緒)
後のこと、先のことなど考えず、相手の迷惑さえ考えない。
相手が私を見て困った顔をしても、問答無用。

私の命があと2ヶ月だとしたら、今の私なら、必ずそうする。
でも、私の命はおそらくあと2ヶ月では終わらない。
だから、今、私はそういう選択はしない。
仮に本当に、私の命があと2ヶ月で終わることになるとしても、今はそうとは知らないのだから。

人生の終わりに、自分が何をするか、その答えは一様ではない。
同じ人間でも、いつも同じ行動をするとは限らない。
そのときの心の有り様が、どう人間を突き動かすか、それは、瞬間瞬間で決まっている。
短いにせよ、長いにせよ、そこまで生きてきた全人生をもって、決断は決定される。
シリアスなものとは限らず、それはちょっとした思いつきかもしれない。
そしてもちろん、外部要因も働く。
自分の意志だけではどうともならないのが、現実。

そういういっさいがっさいの影響で、人生は、あらゆる瞬間に分岐している。

「ラン・ローラ・ラン」。
「走れ、ローラ、走れ」。
そもそもこのタイトルが小気味いい。

絶体絶命のピンチ。
ローラは恋人の命を救うため、20分以内に10万マルクを工面しなければならない。
ベルリンの街へ飛び出した彼女は、全力でまっしぐらに走る。

どこへ走るのか。
どんな道を通るのか。
誰とすれ違うのか。
どんな瞬間に何が現れるのか。
眠った猫を飛び越すか、その尻尾を踏んづけるか、そんなことでさえ、運命を分かつ。
ローラのその一歩が、今すれ違った中年女性のその後の30年を変えてしまうかもしれない。
何が何に関わっているのか、あらかじめは知ることができないけれど、必ず何か関わっている。

そういうドキドキ感と、めくるめくようにすれ違う。
この映画、楽しい。

人生、疾風のごとし。
微妙が微妙に重なって、偶然が偶然に顔を出す。
ちょっとしたことで変わるもの、ちょっとしたことじゃ変わらないもの。
人生を追いかけるのか、人生に追いかけられるのか、あるいは人生を追い越すのか。
実際の人生は、考える暇もなく、繰り返す余地もなく、ましてリセットする慈悲もなく、ただただ懸命で闇雲で手探りで恐る恐る、ぎゅっと目をつぶって、わーっと叫んで突っ切るもの。

それを笑って、試みに遊んでみる。
映画の余裕と映画の糊しろが、ジャーマンテクノにぐるぐる回る。


ラン・ローラ・ラン Lola Rennt(1998年・独)
監督:トム・ティクヴァ
出演:フランカ・ポテンテ、モーリッツ・ブライプトロイ、アーミン・ローデ他

■2004/9/22投稿の記事
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