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伊勢崎市は私の生まれ育った町です。
養蚕と銘仙の町でした。
今は見られない桑園の風景も
私の心の中に原風景として残っています。

伊勢崎銘仙は素晴らしい着物だったと祖母から聞かされました。
伊勢崎銘仙を見ると
先人たちの誇りが今でも感じられます。
職人さんの技や想いが心に響いてきます。

忘れられつつあるこの素晴らしい文化を
そして先人たちの熱い想いを
もう一度世に出したい。

先人たちの残した歴史と技術を、
若い世代につなきたい。

そんな想いが
私を動かしています。​

栗原正峰

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発起人:伊勢崎市出身・教育者であり書家・栗原正峰(くりはらせいほう)

​製作:W@nderFabric​

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伊勢崎銘仙とは:
群馬県伊勢崎市とその周辺で生産される絹織物。
江戸時代、農家が自家用に生産していたもので、

その技術が築かれ江戸時代中期になると全国に広まりました。
絹の需要増大に伴い、養蚕が盛んになり、絹商人や元機屋が集まりました。
織物は仲介人などを通し江戸や京都の呉服問屋に送られました。
明治に入り、ひときわ美しくなり珍重されるようになりました。
明治末期には伊勢崎銘仙の名は全国に広まり、黄金時代を迎えました。

その後、急速な洋装化や戦後日本における繊維産業の斜陽化に伴い生産量は激減していきました。
令和元年、伊勢崎市の機屋さんは0となり、伊勢崎銘仙という伝統を継承する事が厳しい時代に入りました。


現在、田畑や工場となっている場所は全て蚕を育てるための桑畑だったと言われています。
富岡製糸場とした、この地域一団となりで絹が生産されました。開港と同時に始まったシルク貿易は日本の輸出品の85%を占め、世界トップシェアを獲得した歴史もあります。伊勢崎の絹産業は日本を支えた一つと言っていいのではないでしょうか。

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伊勢崎銘仙CAP

伊勢崎銘仙着物を素材にCAPを製作しました。

厚みのある絹織物で光沢感があります。

大胆な柄と色使いが特徴で派手さの中に高級感があります。

かつて着物として使用されていた古着物を仕入れ製作したCAPと、

伊勢崎市役所様に相談し、伊勢崎銘仙を長年織られてきた、きじま織物様をご紹介頂き、

未使用反物を仕入れさせて頂き製作したCAP。

伊勢崎銘仙CAPに発起人でもある栗原正峰氏の『繭』という書を右サイドパネルに刺繍したデザイン。

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