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「せめて襟ぐらいついた服を」に見る学校教育

こんばんは、昨日から改めて更新を開始しました。今日は早速いつもより30分起きたわやです。

今日はいつものスーツでなく、わりとラフな格好で学校に行ったんですよ。一つはほぼクーラーの効かない職員室で過ごすには暑すぎること、もう一つは気分です。

上はTシャツでした。

それがまずかったようで、例の陰口探しの先生から「せめて襟ぐらいついた服を着ようよ」とサラッと言われました。襟がついてないと何かいけないのかなと思い、職員朝礼の時に周りの先生を見渡すと、たしかに襟付きを着ていました(男性の話です)。

とは言え、クタクタの襟のよれたシャツや、クラブの名前入りポロシャツなど、様々です。

襟がついていることが大切なのか?襟付きを着る目的はクタクタやクラブのものでも果たしてるのか?

いつものあれだなと思いました。要は、脳内にできあがった当たり前像にぼくが一致していないということです。立場上とか、生徒の見本とか言うのなら、先生にも制服作って着たら良いんですよ。

でも今はそんな時代じゃないです。没個性、規格化された歯車を育てようとしてもダメですよね。

そもそも時代なんて関係なく、「外見でレッテル貼り」を教師がしてたらダメですよね。

「大人になればいつまでも大人でいられる、わけじゃない」

とどこかで聞きました。古い価値観を押し付けられるのはNGで!

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