MADCHESTERロゴ_2011

再掲:MADCHSTER NIGHT

この文章を書いてからもう20年!

1989年、その年の冬僕はロンドンにいた。

この年はまさに奇蹟と言ってもよかった。STONE ROSESが1stをリリースしアシッド・ハウスの嵐はイギリス中を吹き荒れており、12月のロンドンHMV,TOWER,VIRGINの壁一面にはSOUL II SOUL,808STATE, DE LA SOULそしてFOOL'S GOLDが埋め尽くしていた。ROUGH TRADEのショップではInspiral CarpetsのCOOL AS F**KのT-Shirtsがもう少しでSold Outで、Paddingtonの駅の壁にはA GUY CALLED GERALDのパーティーのポスターが貼ってあった。DingwallsではFELTの解散ライブがひっそりと行われていたはずだ。
ひとりですることもなく入ったクラブでDJがプレイしたHappy Mondaysの"Wrote for luck"のVince Clarkのミックスを聴いたとたんに、マンチェスターという言葉が僕にとってほんとにリアルなものとなった。すべてのポップミュージックはダンスミュージックだった。踊ることは、ほんとに新しい扉を開いてくれた。John Squireがどこかの雑誌のインタビューで言っていた『主役はオーディエンスなんだ』この言葉の本当の意味を理解したのは、もっと後になってからだけど今思えば90年代を通じてヨーロッパのダンスミュージックは全て、この前提の上に進化してきたように感じる。
90年、次々にリリースされるシングルは一枚一枚がほんとに輝いていた。みんな踊ることに夢中になっていた。
この時期に様々なアーティストによってなされた試みが、どんどんダンスミュージックを進化させていく様子は本当にエキサイティングだった。確か、この年の夏にQUATTROで行われたMANCHESTER NIGHTで来日したPaul Oakenfoldは808STATEのウォームアッププレイで一曲目に"KINKY AFRO" をかけていて、一時間後には見事にアシッド・ハウスへと流れていった。あれこそがきっとバレアリックとよばれるサウンドだったにちがいない。
91年になると、僕はこの流れを完全に自分の世代にとってリアルタイムのそしてほんとに強力なムーブメントだとはっきり意識していた。どうやってこの流れに参加しようか考えてた毎日が懐かしい。そして僕はwonder release をスタートさせた。結局今でもその延長にいるとしか言えないし、僕の人生を変えたのは60年代のMODSでも70年代のPUNKでもそして80年代のNEW WAVEでもなく、この90年代のムーブメントだった。もちろんKINKSもJAMもSMITHSも大好きだけど、でも10年たった今でもMADCHESTERは僕の中ではリアルタイムに生きている。
だからこそVENUS PETERもSECRET GOLDFISHもROSESやMANDAYSと本当に同じぐらい重要でカッコよかった。
紀平君はすばらしいDJだったし(今でもね)、ほんとに完璧だった。
MDMAがなくてもどんなパーティーより(多分ね)盛り上がっていたのはその音楽が伝えようとしていたメッセージに敏感だったからと思うし、きっとそのマジックを信じていたからだろう。踊り続けたその先に、いったい何があるのかはわからないけれどこの10年間の中で感じた最高の瞬間は、いつも踊っているときだった。
でもきっと一番楽しんでいるのはそのDJ自身なんだけどね。
ラストナンバーは" THIS IS THE ONE "、この曲がすべてを語っている。

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