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安定よりチャレンジ!ワクワクする自分 !キャリアを棚卸して、武器を総動員して新しい世界へ

特許の弁理士として18年。そこからキャリアコンサルタントにダイナミックなキャリアチェンジをした福所しのぶさん。
キャリアチェンジへの道のり、きっかけや思い、そして輝くその笑顔の理由を聞いてみました。


女性としての人生を漢字1文字で表すと『挑』


振り返ると、チャレンジしてきたことが私の特長だと思うんです。
新しい自分を発見したり、知らないことに取り組んでみたり・・・。そんな意味を込めて『挑』を選びました。
理系の大学・大学院から弁理士になり、18年の士業を離れ、キャリアコンサルタントの資格取得、コーチングなどいろんな挑戦を重ねてきました。現在は、ライフワーク探し・自己実現のための支援を行っています。

英語でなく理系へ。研究でなく士業へ

きっかけは否応なくやってきました。帰国子女だったので、英語のできる高校にいったんですが、私、英語できると思い込んでいたら、英語では食べていけないレベルだとわかり、もともと理科が得だったので理系に進みました。理系の大学で、大学の研究者になろうと大学院・博士課程もでている5年のうち2年目に「向いてない」と判断したんです。
そのころ大学の先生になるには、日本全国のどこかでポストが空いたら入れるという仕組みだったんです。だから、自分の将来を考えた時に、「家庭を持ちたい。でも家庭をもって続けられる仕事ではないかもしれない両立できるものを選びたい」と思ったんです。
ちょうどそのころ、ベンチャー企業のインターンで「特許」という業界があることを初めて知り、「私こっちに行くわ」と決意。
この業界の魅力は転勤がないこと。法律事務所は支所があるわけでないので自分と合えば長くいられるんですね。そして資格をとれば続けやすいし両立しやすい。でも、弁理士資格試験に受かる保証はなく・・・。かといって大学は、一度研究からひいたら戻れるものではないので。
選択するときは、周りには相談したけど、誰からもやめろといわれなかった ですね。やりたいことやりなさいと言われ、自分で決めました。
研究への思いはなかったわけではありませんが、私は理系の生物系で、医薬品など生物に関する分野だったので知識が無駄になることはなかったですね。知識はもっていけるな、と。
科学技術の知識も使うし、外国への特許の出願もで英語の能力も生かせるし、私の力を総動員だから私に合ってると思います。

自分の将来が見えてしまった。キャリアの棚卸しを


弁理士となってから、結婚出産を経て、復帰後1年目に管理職になりました。経営的なところにも入りました。でも、がっつり子育てしながら経営層に登用されるのはその組織では初めてでした。ロールモデルも少なくて・・・。5~10歳上の先輩になると、男性以上の努力してその地位を築いてきた方ばかりでいた。うちは主人と娘と私、3人の核家族。両親は遠方にいて難しいし、出来ることと出来ないことが先輩方とは違うんですよね。育児の負荷も大きいし、先輩方とは同じようにはできなくて。でも数字的に求められることもあり、頑張りすぎちゃって・・・。そんなときに、原因不明の自己免疫疾患を患ってしまったんです。それを機に、この組織でシフトダウンして働きるづけるのか、別のことをするのか考えたんです。そうすると、自分の将来が見えてしまったんです。同じことを繰り返す日々。生活は安定すると思うけど、自分がレベルアップしていく場所がなくなります。安定の代わりに、自分が新しいことにチャレンジする要素がなくなってしまうだろう、じゃあ、私は何をやりたいんだろうと考えました。そして、キャリアの棚卸をしたんです。何で組織の中で子供を育てながら復帰してすぐになんで管理職になることを受けたんだろうかとか、いろんなこと考えたてら、娘に対して女性だからって制限や出来ないってことはないんだってことを見せたかったって気づいたんです。だとすると、組織の中で自分が頑張ることも大事だけども、自分らしく社会で活躍する女性を後押しする方でも自分のやりたいことにつながるんじゃないかなって思って、そのほうが自分がワクワクしたんですよね。だから思い切って事務所をリタイヤしてキャリアコンサルタントの資格をとったり、コーチングスキルを学んだりしてサポートをスタートさせたというわけなんです。

家庭と仕事の良いバランスをとることが大切


私が大切にしている価値観の1つはチャレンジしていくこと。家族は・・・もちろん大切だけど、ずっと家にいて子どもと遊んでいるのが幸せかというと、それがすべてではなく、対外的な活動をしながら家族も一緒の時間があるねっていうのが自分にとっての良いバランス。自分の体のこともあるけど、専業主婦になることは選ばなかった。スキルがあることがもったいないと思っていたのかもしれませんね。
対外的に役に立つことをしていることが、自分の存在価値になるのかなって感じています。

キャリコンやコーチングの仕事については、走り出したばかりなので、どこまで喜んでもらえてるか未知数です。でも、この選択をして良かったと思っています。世界が広がりや、価値観が違う方との出会いもあったり、前職が忙しすぎて職場の外とのつながりもできなかったので、今はいろんな人とつながり、そんな経験ができて良かったなと思っています。

私にとって女性として生きること。女性だから男性だからっていうことよりも、「自分らしい」を実現できることを大切にしています。
とはいっても、いざライフイベントに直面したときに、女性の場合、世間的な評価などから、自らの意志で選択することが難しい場合もあります。そしてまた男性も、こうあるべきというのに縛られてて、それを自分を見直す機会にしずらいのかもしれません。
そんな中、女性は考える機会がいろいろある分、主体的に自分で選んでいるという感覚を自分で作り出せるのではないでしょうか。被害者意識になることもできるけれど、自分でつかみだすこともできる。そんな流動的な自由な存在。それが女性らしさでもあるのかなと感じています。



思考を深めるためにするのは仮説を立てること


本は結構読みます。人生を好転させそうな考え方を取り入れようとする意識はあります。経験を落とし込んでいるところは大きいですね。
自分軸があるとしたら、割と仮説を立てることが好き。もともと理系だから、こうなんじゃないかと期待している結果を証明するための実験を組むみたいな。読書でも、こうきたらこう読めるんじゃないかとか、自分に当てはめるとこうなんじゃないかとか。裏付けができると、きっとそうに違いないんじゃないかとか。
いろんな意見の中で自分に合う意見はどれかなとかそういう意識で選び取っていると思います。


経済資本は次のチャレンジへの追い風となる


最後にキャリアチェンジを考えている方へ。
組織から組織へ移るなら生活面では安定はあると思うので、興味の赴くまま選んでよいと思うが、独立しようとするなら、小さなところから始めたらよいと思います。いきなりポンとでたときに、プロティアンキャリアでいう社会関係資本がないようであれば、まずそこを広げるところから始めるといいと思います。そういう初めの助走期間が必要。私の場合、なんでポンと出たかというと、キャリア資本で言う経済資本が溜まってたんです。退職金もでるしという意味ではそこが私にとってのある一定の保証になってくれると思ったので、何年か収入が途絶えることがあっても耐えられると判断したのです。これは自論ですが、経済資本って、次のスキルやステップへの資本になってる、循環してるんじゃないかと思っていています。これ、ぜひタナケン先生に聞いたみたいです。現実的には、その人に必要な経済資本を地に足がつくように貯めておくことが大切だと思います。理想的には、自分が好きなことをやるのが情熱を注げるしいいのですが、じゃあ、どういうステップで移行していくかっていったら、自分の資本を確認しながら進めていくのが良いのではないでしょうか。

また、きっかけとして、一見ネガティブに見える出来事も、見つめなおす機会になると思います。私、病気をしていなかったら、たぶん男性路線で突っ走っていたと思います。病気もあってそういう機会を得たからこそ見直せたことはありますね。でも、みなさんには、もうちょっと早い段階で棚卸することをお勧めしますけど・・・。

脳科学的にも、人は本来大きい変化を嫌がる性質があることが分かっています。
小さい変化を重ねていって気づいたらこんなところまできていた!というのが理想かもしれませんね。


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しのぶさんの輝く笑顔は、自分らしく歩んでこられた、キャリアの軌跡でした。ポジティブな発想と堅実な思考を合わせ持ち、時にダイナミックに、時に戦略的に。
変幻自在にキャリアを歩むプロティアンな女性としても、とても魅力的な方。次回のインタビューでは、今後のキャリア構想などもお聞きしてみたいですね!