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芸術家肌と揶揄される人の話

人一倍感受性が豊かで、枠に収まらない発想や行動を起こす人を「芸術家肌」と例える言葉があるが、この例えはまさに言い得て妙だと私は思う。
 この「芸術家肌」に当てはまる人は前文で述べたように、エキセントリックな様子から実際冷ややかな目で見られる事が多い。しかし多くの人を魅了するのもまた事実である。


「芸術家肌」というか本当に芸術家であるのだが、文豪という人種を例に挙げてみよう。
これは私の偏見じみた意見になるので、気に入らなくなったらスクロールして飛ばしてくれれば幸いなのだが、文豪には劇的な最期を遂げる事が多いと印象を受ける。いや、実際にはそのような過激で悲惨な死を遂げた文士は極少数だろう。ほとんどは命尽きるその時

まで生を全うしたはずである。


しかしそれでも文豪=自殺というような些かとんちんかんに思える考えは払拭されない。在りの遊びの如き生き方を良しとしないのか、「自殺の美学」などという独特の風潮が所以なのか、この同調圧力が蔓延する現代社会の模範囚になれるだろう私には理解に苦しむ。


それでも太宰、芥川、三島、川端は強い。作家としての才能や、世に排出した有名作品が故に、等の理由もあるだろう。しかしそれを除いても私達一般人の心に残る。
自殺を5回試みたとか、自衛隊駐屯所で切腹自殺したとか何か物語りじみた我々群衆には到底理解できない、石に花が咲くような生き方をする彼らに一種の憧れを覚えるのは私だけではないだろう。

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突飛な生き死に様をする文豪が何十年後の私たちの心に残るように、「芸術肌」と称され変わってる奴だと好奇の目でさらされている人も、死後何十年後かに評価される才能を秘めているかもいしれない。所謂死に花を咲かせるである。




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