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権威と典型を疑う Brouwerij de Ranke Noir de Dottignies

クラフトビールは多様性が重要だとよく言われます。その文脈でたくさんあるビアスタイルについて触れることも多いです。しかし、それはちょっとおかしいといつも思っています。

ビアスタイルというものは、人間が恣意的にビールを分類して名前を付けたものです。言ってしまえば「歴史の記述」。それはとても大事なことなのですが、決して現在進行形ではありません。あくまでも「過去の編纂」であり、過去完了形のものです。クラフトビールはリアルタイムでアグレッシブに進化し続け、常に新しいものが生まれています。それ故、過去の視点ではどうしても捉えきれないものが発生してしまうのです。まだ分類できていないけれども、すでに存在している得体のしれない何かに実は日々触れているのだけれども、そこに労力を割くほど暇も余裕も無いから見なかったことにしていることが案外多くあるような気がするわけなのです。

私にそんなことを気づかせてくれたビールがあります。それは、スペックやら能書きなどどうでもよくなってしまうほどの衝撃的な経験でした。ベルギーのBrouwerij De Ranke Noir de Dottignies(ドゥ ランク醸造所 ノワール ドゥ ドティニー)」というものです。いわゆるビアスタイルに無理やり当てはめれば「スタウト」になりますが、これは単なるスタウトではない。ドゥ ランク醸造所は加工したホップは使用せず、生ホップだけでビールを仕込みます。そのため、ビールはとてもフレッシュなホップの香りを持ち、苦味も鮮烈。ホップの苦さと焦げ苦さとが共存するスタウトは、今まで経験がありません。「スタウトらしさとホップ苦さが同居する、稀有なスタウト」だと思います。

スタウトと一口に言っても、世界には色々な種類があります。「BJCP(Beer Judge Certification Program )2015年版」 に準拠すると、アイルランド発祥の「Irish Stout(アイリッシュスタウト)」に始まり、「Irish Extra Stout(アイリッシュエクストラスタウト)」、ブリティッシュスタイルとして「Sweet Stout(スイートスタウト)」、「Oatmeal Stout(オートミール スタウト)」、「Foreign Extra Stout(フォーリンエクストラスタウト)」など。アメリカだと「American Stout(アメリカンスタウト)」があり、近年「Imperial Stout(インペリアル スタウト)」も流行っていますし、「Tropical Stout(トロピカルスタウト)」というものもあるそうです。これは試したことはないけれど、とても気になります。

これに加えて、まだ明文化されていないけれども押さえておきたいものがあります。今後確実に整理して記述されるであろうスタウトが「Pastry Stout(ペイストリースタウト)」です。ペイストリーとは菓子パン類を指し、甘くて濃くてリッチな、お菓子のような味わいのスタウトを総称してそう呼んでいます。日本で手に入るものだと、omnipollo Noa Pecan Mad Cake(オムニポロ ノアペカンマッドケーキ)やMikkeller Beer Geek Vanilla Maple Cocoa Shake(ミッケラー ビアギーク バニラメープルココアシェイク)などが挙げられます。粉と脂と糖分にまみれたジャンクなお菓子はやっぱり何だかんだ言って美味しいよね、ということなのだと思います。ドライなIPAがヘイジーIPAへ移行するにつれ甘みを許容しミルクシェイクスタイルに行き着くのと似て、スタウトも強い焦げ感によるフィニッシュのドライさよりも甘みを伴ったリッチネスに寄ってきています。非常に興味深い傾向です。

これらに概ね共通するポイントとしてはSRMが40ほどと高く、IBUが最大でも40〜50程度であるということ。黒に近い、かなり濃い色味です。IBUが100を超えるようなIPAが流行する昨今、IBU40程度というのはそれほど苦くない部類になるのかもしれません。基本的には苦味はそれほど強くなく、焦げたニュアンスとモルティな風味が支配的になると思います。「スタウトは苦い」と思われる方もいらっしゃると思いますし、事実苦味はちゃんと感じます。しかし、ビールの苦味はホップによるものだけではありません。一つはホップ由来の苦味、そしてもう一つは焦げに由来する苦味です。前者はホップによる草っぽい苦味、後者はコーヒーやエスプレッソなどを思わせる焦げた風味の苦味と言えば分かりやすいでしょうか。通常、スタウトは焦げ苦さが中心であり、ホップによる苦味は表に出てきません。ビールのスタイルガイドにも「スタウトはそういうものだ」と書いてあり、私たちの認識も概ねそうです。

しかし、ドゥ ランク醸造所のノワール ドゥ ドティニーはその範疇には収まりません。焦げによる苦みだけでなく、ちゃんとホップ苦い。そして、結構しっかりと酸味も感じます。9%というアルコール度数からすればインペリアルスタウトではないか? と考える方もいらっしゃると思いますし、とある評価サイトではBelgian Strong Dark Ale(ベルジャンストロングダークエール)に分類されています。これらを総合するとなかなか見解の統一が難しいところなのは間違いありません。そこで作り手にその点を率直に尋ねてみたところ、彼らはこう言いました。「“うちの”スタウトだよ」と。その言葉を聞いて、思わずハッとしました。

私たちの多くは「すでに当たり前とされることを疑う」ことをしません。それが権威があるとされるガイドのビアスタイルであった場合、「スタウトは焦げ苦いものだ」という常識や既成概念を敢えて疑うことはなかなか難しい。典型とされるものから現実がどれほど離れているのかという減点法で認識しがちです。今目の前にあるものと対峙して真正面から受け止めずに解釈しようなどと思っては本質を見誤るに違いありません。スタウトに焦げ苦さとホップ苦さを共存させてみようと考えること、ましてそれを実現するに至っては並大抵のことではないでしょう。その意味で、ノワール ドゥ ドティニーは正に常識を超越したオリジナル。既存の枠組みを軽々と越え、作りたいものを作るというスタンスにはただただ感動するばかりです。

語弊を恐れずに言えば、「ビールがスタイルとして認識されたらもう古い」とすら私は思います。「まだ名前のないものを作る」というクリエーションがドゥ ランク醸造所にはあり、絶妙のバランスでそれを実現させてしまった彼らの深いイマジネーション、そして経験に裏打ちされた高いテクニックに心から敬服します。新しい地平を見せてくれたノワール ドゥ ドティニー、これをベルギーから遠く離れた日本で味わえる幸せを、深く噛み締めるのです。

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