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避けられない記憶の反芻

記憶を反芻する事が癖になっている。
「癖」と言えるのかどうか分からない。
ついついやってしまう、というのではなく、不意に浮かんでしまうのだ。

楽しい記憶や嬉しい記憶を反芻する事は皆無で、浮かんでくるのは嫌な記憶ばかり。
一つのきっかけで、芋づる式に次々と嫌な記憶が引きずり出される。

僕の場合は路上を自転車で走っているときが多い。
路上でプチトラブルになったことがたくさんあったから。

自転車で走っていた時に右(僕が走ってくる方)を見ずにT字路から出てきた車。こちらを見ずにアクセルを踏んだから「危ねぇなコラ!」と言ったら乗ってたヤンキー崩れが車を路上に止めて走って追いかけてきた。

同じく路上を走っていたら、左手にあった駐車場から、僕を追い越すように斜めに突然車が出てきて接触しそうになった。どうやら駐車しようとしていたらしい。自転車を止めて運転者を見ていたらヤンキー崩れが車から出てきてガンのつけあい飛ばしあいになった。

朝、出勤のために自転車を走らせていたら、前を爺さんが乗った自転車がヨレヨレタラタラと走っていて、タイミングをみて抜きに掛かったら爺さんが突然蛇行し出した。慌ててブレーキをかけたけど、僕の自転車の前輪が爺さんの自転車のスタンドに触れた。爺さんに何やら口汚く文句を言われた。

他にもいろいろあるんだけど、この芋づる式の反芻が始まると最初の嫌な記憶と全く関係ない事や後悔や怒りの記憶まで頭を駆け巡ってしまう。
そうなるとどうしようもなくて、この嫌な記憶の奔流が過ぎ去るのを待つしかない。なるべく静かに呼吸をして、心を真っ平にしてそれ以上動かないようにする。

動物の反芻のように、反芻するたびに消化されていけばまだ救われるんだけど。反芻する記憶はそれはそれは鮮明に蘇るものだから質が悪い。
まるで死に際に見る走馬灯だ。
死に瀕している訳ではないんだけど。

あ~。死に際に思い出すのがヤンキー崩れに追いかけられた事とか、嫌だなぁ……

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