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映画『孤狼の血』

自分の考えを形にして人に見せる機会もなかなか無いので、気が向いたときに日記代わりのnoteを書くことにしました。続くと良いな。

写真は僕の喫煙を見守る猫。

■映画『孤狼の血』を見て感じた、「手段に拘る理由」の話

良質な映画は、僕の中の大切なものを綺麗に掘り出してわかりやすくしてくれる。
新しい映画に出会う度に、自分がどういう人間なのか理解が深まる。

▼登場人物

・ガミさん
役所広司演じる大上巡査部長は、ザ・昭和のマル暴と言った感じでそれこそヤクザのような風貌、口調、やり口で違法行為も厭わない荒くれ者。
ガミさん、と呼ばれカタギからもそれ以外からも一目置かれている存在。

日岡巡査(ヒロダイ)
松坂桃李演じる日岡巡査は広島大学出身の新米マル暴。
「正義」とは何かを自身に問い続けながら、上司でパートナーのガミさんと対立する。

ピエール瀧演じる瀧井銀次の台詞

「ヤクザはガミさんにとってただの駒じゃけぇ。脳足りんの極道を手懐けて抑えつけとるんじゃ」
「ガミさんはカタギのことしか考えとらん」

この台詞及び前後のシーンでわかることは、
【ヤクザに肩入れして好き勝手にやっていただけ】
に今まで見えていたガミさんが実は、
【市民の安全を守り抜くという目的の為に最前線で誰よりも奮闘】し、
【ひとりで身を削って目的の為に最短距離を走っていた】
ということ。

これはガミさんの"優しさ"や"正義感"から来る行動で、日岡巡査の考える『正義』を誰よりも遵守していたのはガミさんだったのだ。

目的を遂行するとき

どういう手段を取るかで、結果は同じでも文脈は変わるし周囲からの見られ方も全く違う。
どれが最善か、普通に考えればスマートな方法を取る。
それが自分にとって一番得だからだ。
しかし"スマート"には犠牲が伴う。
自分を守るため、人を見殺しにする必要がある。

ガミさんはスマートではなかった。
自分をすり減らし、命を削って市民を守ろうとしていた。
その為には細かいルールに従っている暇はなかったのだ。

■綺麗事をぬかし手段を選ぶ奴はスマートだろうと…

重要な目的がある場合のみの話だが、
綺麗事だけを並べてネガティブなことばかり言う人は自分の保身を第一に考えてしまっているのではないか、と感じる。
スマートな方法かもしれないが、それは自分にとってだけだろう。

僕ならどうするか?

自分に置き換えて考えてみよう。
どうしても、スマート方法を取ってしまうかもしれない。
それが、世間一般でいう"賢い"ということを知っているから。

こんなことを考えずとも

『孤狼の血』は細かなディティールまでしっかり描いている素晴らしい作品なので誰であれおすすめできます。
ラストは少し臭いと感じる人もいるかもですが。