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写真との出会い

 ボクは昔から多趣味の癖がありますが、自分の人生の中で、一番長く
続いているのが写真です。
子供の頃、当時はカメラと言えば高価なものとして扱われて、子供が
手に触れるものではなかったんですが、親父が撮ってくれる写真に
興味を持ち、ボクも大きくなったら撮りたいという願望がありました。
 修学旅行の時、生まれて初めて親にカメラを買ってもらって、
旅行に持って行く筈だったんですが、直前になって壊れてしまい、
旅行中は手にすることが出来なかったという辛い思い出があります(笑)。
 実際的な写真との出会いは、卒業研究でX線撮影の研究テーマで、
カメラを扱うことがきっかけになりました。実験で撮る写真の現像を
しながら、学校のカメラだけでは満足出来ず、アルバイトで初めて
一眼レフカメラ(Canon FTb)を買いました。「カシャッ」という
何とも言えないシャッター音に魅力を感じて、とにかく目にする被写体を
撮り捲りました。勿論、当時はモノクロフィルムなので、
自分でフィルム現像をやりました。実験で撮影するX線写真の数も
どんどん増えて、現像作業のためだけに学校に泊まり込むことも
ありました(笑)。
今から考えると、一体何を撮っていたのか全くわかりません。
もう当時の写真は1枚も残っていませんが、ただひたすら撮っていた
ように記憶しています。
 社会人になってカメラの機材も色々と買うようになったし、たまに
写真屋さんから撮影会の招待を受けたりしているうちに、徐々に
ボクが撮る被写体もポートレートに絞られて来ました。
当時からポートレートというジャンルはありましたが、今のように
SNSでモデルさんをオファーすることもなく、新聞社や遊園地等々が
企画する大撮影会でしかモデルさんを撮ることが出来なかったです。
隣のカメラマンと手や肩を接触しながら、大円陣の中でシャッターを
切るのは並大抵ではなかったです(笑)。
 ボクが結婚して子供たちが大きくなるまで、一旦、写真の世界から
離れていました。何台かあったカメラも売りました。カメラ雑誌も
見ることもなく、次第に写真の情報にも疎くなりました。
 ボクが50歳を過ぎて、そろそろ定年のことを考える時期になった頃、
なんと東京転勤の辞令を受けて単身赴任しました。それが再び写真の
世界に舞い戻るきっかけになりました。東京での一人暮らしは、とにかく
ヒマでした。特に土日の休みは無駄に時間を潰すことばかりで、このまま
埋没してしまうのではないかと心配したほどです。
当時、パソコン通信というのが流行っていて、ボクもヒマに飽かして
やってましたが、そこでモデルをしているという女性から撮影しませんかという声を掛けて頂いたのが、再開の口火を切ることになりました。
東京で2年程、ポートレートを撮っていましたが、なかなかモデルになってくれる女性もいなくて、同じモデルさんに何度も頼むことになりました。
 やがて大阪に戻り、又普段通りの生活が始まりましたが、この頃に親父が
亡くなり、しばらくは写真どころではありませんでした。
ようやく自分の心にも余裕が出て来た頃に、モデル事務所に通ってモデル
さんの調達が確かなものとなり、ここから継続的に、本格的にポートレート
撮影を開始することが出来ました。
 色々書いて来ましたが、ボクの人生において、写真との出会いは数々ありましたが、ここに至って、ようやく自分が目指す写真との出会いに遭遇しました。この時のボクの年齢は57歳でした。
「自分のポートレートの世界を表現する」という目標に向かって、カメラ
雑誌を定期購入をしてポートレートの撮影方法を勉強したり、街中にある
写真ギャラリーに通って、その素晴らしい作品に巡りあった時の感動を
「自分もいつかはこんな作品を撮りたい」と思うことが頻繁にありました。
でも、一方では「こんなこと、いつまでやってるんやろう・・・」という
気持ちが何度も萎えることがありました。この歳になって女性の写真ばかりを撮ることに戸惑いがありました。きっと奥さんもいい気がしないと思いますが、残された自分の人生で自由に動けるうちに、やりたいことをやり遂げたいと思う気持ちが勝りました。
 結局、何度かの写真との出会いが、ポートレートに収束し、それを追い
求めることに繋がりました。今年でボクは69歳になりましたが、57歳
で決心したことは、今もしっかり根付いています。

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