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クイーンのコンサートと三角形の会話

クイーンのコンサートへ行かれた方も多かったと思いますが、一寸違った見方をしてみました。お仕事にプラスになれば幸いです。

何故感動したのか

場の力が有ったと思いますね〜♪。舞台装置とか、空間とか、何万人というお客さん。その一体感とか。それは人と人の「あいだ」が開かれ「分かたれたものが、同時にあり、分かたれてあるままに、一つである」状態に皆さんがなったからなのではないかと思います。皆が一つになれたのでは?

三角形の会話

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上の図をクイーンのコンサートに当てはめると、「話す」人が「クイーン」・聴く人が「自分を含めた観客」となります。

そこに「観察」という視座を一つ加えてみましょう。

自分も観客の一人なんですが、クイーンが何万という観客に演奏をしている状態、何万という観客がクイーンを聴いている状態を「観ている」自分みたいな、ちょっと引いた感じです。いかがでしょう。

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「クイーンの演奏」と「それを聴いている何万の聴衆」を観ている「自分」

もしこのコンサート会場で、観客が自分一人なら、それはとってもプレミアムで凄いことだと思いますが、色んな声援も、何万人分の拍手も、何万のスマホライトも、熱気もなく、なんかちょっと淋しいかも。果たしてあんなに感動するかな。。。

日常に当てはめてみる

クイーンのコンサートで、自分も聴衆でありながら、「演奏ー聞く人」を「観る」という、「自分と聴衆を分けた三者の関係性」を日常のなかに当てはめてみると、

普段の「Aさん(話し手)」と「聞いている私」の二者間の会話から、

「Aさん(話し手)」によって「話されたこと」と「聞いている私」。

一寸幽体離脱っぽいですが、クイーンのコンサートをイメージして貰うと分かりやすいと思います。クイーンの演奏も聴いているのですが、演奏されたことによって何万の人が反応しているのを「観て感動している」自分。って感じです。いかがでしょう。

お盆やテーブルの上に一旦置いて共に眺める感じ

例えば会議などで、意見が対立したとしましょう。対立まで行かなくても、どうも違和感があるとか、気に入らないとかもあるでしょう。国家間なら自国の主張ばかりで折り合いがつかないとか、いろんなところで二者間の会話・対話は発生すると思います。

そんなときに、「相手」と「相手が言っていること」を一緒にしてしまうと、内発的に反発が起きやすいので、二人の間にお盆かテーブルをイメージして「相手が言っていること」を一旦二者間の間に置いて、お互いに「眺める」という感じです。

クイーンも、「自分達が演奏」をしているのですが、「自分の演奏したものを聞いている聴衆」も観ていると思いますし、私達も「クイーンの演奏」を聞いていますが、それを聞いている何万の反応も「観ている」と思います。

この一寸した、自分を斜め上の後方から観ている感じ。

するとこんな会話になるかもしれません。

「あなたはそう言うが、私は "○△#!!!" なんだ!」から、

「いまあなたは"□×$???"と仰いました。(と二人の間に机かお盆があると想定しそこへ相手の言葉を置きます)。このことについて共に考えてみたいのですが、私は○△#!!!のように感じました。(自分の言葉を二人の間に置く)」と自分の意見もそこに置いて、二人でお互いの言葉を「眺めてみる」感じ。

私達はクイーンを観ている、クイーンも私達を観ている。その状態を少し引いて観ている自分が感動している。なんとか重ね合わせてみてください。

管理から観察へ、観察から鑑賞へ

上下関係の中で、人を管理することから、すこし離れて観察へ。さらにその状態を俯瞰し「鑑賞」する感じで視野を広げる。

二者間・二国間・親と子・教師と生徒・経営者と従業員等々、二者間であっても一寸視点を変えると「三角形」の構図ができるので、二者間を超えて共に新たな地平を観ることが可能になると思います。

ということで、クイーンのコンサートのように、相手の話を浴びるように聴けたらいいなあと思いました。

命とはつながりである
みんなでおこなう会話を通した平和な活動

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