李琴峰誹謗中傷事件について ~暴走する反差別~
李琴峰さんがカミングアウトに追い込まれるという形で決着がつきそうな李琴峰誹謗中傷事件ですが
そろそろ謝罪をする人が出てきたということで、私がみた今回の事件の全容をまとめておきたいと思います。
最初に、李琴峰誹謗中傷事件をすごい雑にまとめると、埋没トランスジェンダーである李琴峰氏が、トランスレズビアンの当事者を名乗る人物からシスジェンダーと決めつけられ、トランスレズビアンにたいするハラスメントをしているという誹謗中傷を受けた事件です。
事件の要約はそうすけ氏がまとめてあるので読んでほしいのですが
ことの発端となったのは、RINGO(凍結済み)というアカウントが李琴峰氏のツイートに対してこのような引用をつけたことでした。
マジョリティであるシスジェンダーとして「対話・交渉」をトランスジェンダーに求めるのは不均衡であるという主張です。
いきなりですが、ここで「マジョリティであるシスジェンダーとして」というのはずばり、「李琴峰はシスジェンダーである」といっていると解釈ができます。ところがこの時点では李琴峰氏は「レズビアン」であることは公表をしていましたが、「トランスジェンダー」であるかどうかは公表をしていません。他人がシスジェンダーであるということを決めつけるというハラスメントをRINGOとかんぴんたんの両者は行ったわけです。初手から地雷を踏み抜いているという状態でしょう。
で、レズビアンスペースはシス女性が占有しているという主張に対し、李琴峰氏の反論では
となっているわけですが、李琴峰氏は自身のnoteの中で
と書いており、要するに李琴峰氏が「レズビアンの空間はシスジェンダーが占有している」というのを否定しているのはトランスレズビアン当事者の実体験なわけです。
この反論を受けてRINGOやかんぴんはシスジェンダーの占有を否定する「ハラスメント」行為にあると主張したわけですが、上記の通り、これはトランスレズビアンとしての実体験と矛盾をしており、それは李琴峰氏にとっては当然のように認められないことでしょう。
これをハラスメントだと主張するのは不可能ではないかと私は考えていますし、李琴峰がトランス当事者であるというのが公表された今なら多くの人はそう考えるでしょう。
結局のところ、一番の問題はRINGOとかんぴんの両者が、トランスかシスかを公表していない李琴峰氏のことをシスジェンダーだと決めつけたことであり、この部分がこの問題の全てなのです。
そのやり取りの中でかんぴんが李琴峰氏にたいして「あなたはシスではないのですか」と聞いたのは前回の記事で書いてますが
ここは私の勝手な推測ですが、そのやり取りは李琴峰氏が「自分がトランスジェンダーであることを察してくれ」と暗に書いているように読めました。
実際、かんぴんが「シスではないのですか?」と書いたのは少しくらいは察したからでしょう。
で、その後かんぴんたんが、DMの内容を李琴峰氏に無断で公開したりとかしたわけですが、「自分がトランスジェンダーであることを察してくれ」というほのめかしをやっているDMを無断で公開された李琴峰氏がどれだけ深く傷ついたかのかを考えると、無関係な私まで苦しくなってきます。
滝本太郎が、李琴峰をレズビアンと紹介するのは誤報ではないかと主張したときに李琴峰氏がそれを批判する記事を書きましたが
この記事を読んでかんぴんはこのような感想を投稿していました。
李琴峰の記事のどこを読んだら「あんなトランス女性みたいなのといっしょにしないでくれ」と読めるのでしょうか。読解力が壊滅しているとしか思えません。李琴峰氏はむしろ記事の中で次のように書いています。
そう、李琴峰氏はこの記事でもやはり、自身がトランスであるかシスであるかは明記していないのです。
にも関わらず、かんぴんとその支持者たちは、李琴峰氏がトランスに対して悪意を持っているかのような曲解を執拗にSNSに投稿していました。
悪意があるのは李琴峰ではなくこの人たちでしょう。
さらにはRINGOが、一方的な見解で記事を書き、それが各種SNSで李琴峰に対するバッシングの嵐を引き起こしました。
このときに李琴峰をバッシングしている人たちの中には、李琴峰が百田尚樹の例を出して「トランスレズビアンをレズビアンスペースから排除しろ」と主張しているかのように書いているひとがいますが、これは完全な誤読であることを本人が書いています。
李琴峰が主張したのは「シス男性」をレズビアンスペースから排除しなければならないということであり、トランスレズビアンをレズビアンスペースから排除しろなどと言ってないことは、李琴峰氏自身がトランスレズビアンで、レズビアンバーに出入りしているという事実からも明らかでしょう。
挙句の果てには、「トランスフェムを殺そうとしている」とまで書くしまつ。李琴峰自身がトランス女性であることを考えると誹謗中傷としか言いようがないでしょう。
流石に世間はこんな誤読をやるバカばかりではないので、李琴峰氏を擁護する投稿も見られたのですが
この投稿に対してもろくでもない引用ばかりがつけられています。
もうほんと、どうしよもないですね。
最終的に李琴峰氏がトランスジェンダーをカミングアウトした記事をだしたのですが
それをよんでもまだアウティングされた当事者に対してこんな投稿をしているというのは人の心がまるでないように感じられます。
上の方でも書いていますが、李琴峰氏は自分がシスかトランスかはあえて書いてなかったわけです。
なぜ、これだけの人間が、「李琴峰氏がシスジェンダーではないかもしれない」と一ミリも考えないまま、李琴峰氏に対する誹謗中傷に乗っかったのでしょうか。
しかも、多くは、日頃から反差別を訴えている人たちなわけです。
私も、「反差別を訴えている人はLGBTのみかたである」と固く信じていた身であるので、これはとてつもなくショックでした。
反差別を掲げている人たちが、トランスジェンダーの当事者を集団で誹謗中傷するなんてことがあってよいでしょうか?
おそらく、ほとんどの人は、最初に李琴峰氏はシスジェンダーだと主張したRINGOとかんぴんの二者に釣られたのではないでしょうか?
ほとんどの人は、自分で李琴峰氏がシスジェンダーかどうか確かめていないのではないでしょうか。
前の記事でも、パレスチナ問題で反差別を訴える人たちがデマに弱いというのが指摘されているのを紹介しましたが
ここでもやはり、「反差別を訴える人は良い人である」という思い込みが、界隈のデマを深刻化させている感じが、私にはしました。
反差別を訴える人の間では
「差別を指摘されたら、とりあえず立ち止まって考えてみて」
のような、いっけんするとまっとうな主張が繰り返し流れているわけですが
李琴峰氏についての言及の中で、この主張が流れるたびに
「『差別ではない』と反論することは絶対に許さないぞ」
といっているようにしか、私には見えませんでした。
一見すると真っ当な主張の裏には「差別を指摘する側は絶対に間違えない」という、謎の前提が入ってはいないでしょうか。あるいは、「ちょっとでも反論したらパージするぞ」という謎の脅迫が入ってはいないでしょうか。
差別を指摘する側がミスをしているかもしれないという想定はあるでしょうか?
これはもはや、反差別の皮を被った暴力になってないでしょうか?
反差別について真面目に考えるのであれば、これらのことについても真剣に考えていただきたいです。
追記(2024/11/29)
やらかした人は早めに謝ったほうが良いですよ