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海だー!

海が好き。泳げないので、入るのはイヤ。ベタベタするので、足をつけるのもイヤ。ナニがいるのかわからないから、中は想像するのもイヤ。でも海が好き。見るのが好き。

わたしの海好きのせいで、名前に「海」の字を入れられた娘は、わたし以上に思い入れがあるらしい。好きな音楽も相まって、2人して海に恋している。

自分で運転できるようになってから、ほとんど毎年、真夏の海に行っている。大抵いつもの海水浴場。昔はビキニ着て海に入って、キャーキャー言うこともあったのよ。若かったからね。子供が生まれてからは、一緒に貝殻を拾ったり、丸い石を探したり、大勢の「人の波」ごしに遠くの本物の小さい波を眺めたり。


海のない街に住んでいる。仕事は山。でも海なんて、いつでも行けると思っていた。「今日は晴れたから海に行くぞ」と気軽に行ける距離ではある。なのに、2シーズン行けてない。娘が働くようになってから、休みの日が限られる。しかも共通のお盆休みの日に、晴れたためしがないときた。

3年目の今年、娘と共通の休みは5日間。そのうち予報が快晴なのは13日だけ。さぁ、どうする?

13日はお墓参り。親戚一同、お墓に集合。ところが今年は中止になった。海に行っても良いってことか?いいってことにしよう。ご先祖様のお許しが出た。

北海道では昔から「お盆を過ぎたら海に入ってはいけない」と言われている。「足を引っ張られるんだよ」と脅されて育ってきた。真相は、急に寒くなるので思ったより水温が低いとか、風が強くなって荒れるので波にさらわれやすいとか、たぶんそんなところだろう。子供の頃、海に行かない口実にされたものだ。


離婚してから、自分の気持ちに正直に生きることにした。ガマンするのはもうイヤだ。海に行こう。


閉鎖中のいつもの海水浴場を後ろに見ながら、海岸通りをひた走る。車のスピーカーからは、娘のスマホのポルノグラフィティの曲がランダムで流れている。音楽は任せた。運転は任せろ。時々、冬の曲やクリスマスの曲がかかるのは、どうにかならんのか。


今日の海はちょっと遠い。2人で行くのは初めてだ。

「ぴぃさん、ぴぃさん!海だよ、海!」
今から1年半前の冬のある夜、仕事から帰って来るなり娘が言う。娘の仕事場は移動する。その日から毎日通うことになった新しい街には、海があるらしい。

「『海!』って感じの海なんだよ。夏になったら絶対行こう!」
ひと月半ほど通った間、毎日のように聞かされた。それほど言うんだから「『海!』って感じの海」なのだろう。

その、更に半年前の夏、2人で家を出た。お盆休みは荷物運び。天気も悪かったが、海どころではなかった。娘が生まれる前に建てた家。ずっとそこで育ってきたのだから、ずいぶん淋しい思いもさせたはずだ。次の夏も海に行けなかったので、その事ばかりを思い出す。


この道をずっと行けば、「『海!』って感じ」のその海に着く。でも娘が仕事で通っていた道ではない。娘の希望で別の道を遠回りしている。冬の慣れない雪道を、毎日片道1時間半も運転した心細さを、思い出したくなかったのだろうか。

ずっと海沿いに行けるのだが、早く着きたくてちょっとだけショートカット。山道の途中、牧草地でメスのエゾシカを発見。2人同時に「あーっ!」と叫ぶ。あわててUターンしたが、白いお尻と可愛いしっぽは、ぴょんぴょんと藪に消えて行った。写真を撮れなくてちょっと残念。でも思い出っていうのは、思いがけない時こそ心に残るのかもしれない。


あちこちの海に寄り道しながら、出発から3時間半、やっと到着した。下りれるところを探す。海水浴場ではないので、駐車場がない。たまたまあった休憩用のPに車を停め、しばらく歩く。下った先に、娘の言う海があった。

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「『海!』って感じの海」だった。

視野全てが海。人工物がない。誰もいない。そして、いつもの海水浴場と違う怖いほどの波。本当の海だと思った。わたしの見たかったのは、こんな海だったんだ。

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せっかくビーチサンダルなんだから、ちょっとだけ入ってみようと思って行った。だけどムリ。スゴい波。ずっと離れて眺めていた。ところがショートパンツの娘がずんずん入って行く。しまった。足を引っ張られる話をしていない。遠くから「頼むからやめて!」と叫んでも、キャーキャー喜んでいる。若いんだな。オレンジ色のビーチサンダルが、わたしの目の前まで流れてきた。

ようやくやめてくれた。一緒に砂浜を歩く。貝殻を探す。「これネックレスにしたら可愛いんじゃない?」毎回言ってるな。

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30分ほど経っただろうか。そういえばサングラスがない。写真を撮るためTシャツの首にひっかけたはずだ。「あ、あの時!」足跡を頼りに、ビーチサンダルを拾ったところまで戻る。サングラスは波に洗われ、落とした砂浜にちゃんと埋まっていた。

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娘は今朝、5日間の休みを終えて、元気に仕事に行った。心なしか、いつもより明るい気がした。よかった。わたしも3年ぶりに心が波で洗われた。

ありがとう。もう大丈夫。冬、うつになったら、海の写真を眺めよう。あの日海から帰って来て、娘とスマホの写真を交換した。驚いた。1日で100枚以上撮っていた。

大丈夫。また来年には、春も夏もカッコウもやってくる。大丈夫。大丈夫。あの海にまた行こう。

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何年かして、今年の海を思い出す時、頭に浮かぶ映像はきっと、エゾシカの白いお尻と、流れてくるビーチサンダルと、砂に埋まったサングラスに違いない。



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