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人形博物館「マリアの心臓」の記憶

私は好きな美術館・博物館に繰り返し行きますが、1回しか訪れていないにも関わらずとても強く脳に焼き付いている施設があります。

その名を「マリアの心臓」と言い、主に日本人形や球体関節人形を取り扱うギャラリーです。
一般知名度は恐らく低いですが、特に球体関節人形業界ではもはや常識となっている施設であると個人的に思います。
現在は京都に移転しましたが、数年前は東京・銀座の片隅に佇んでいました。

私が訪れたのは2018年。
当時はまだ銀座で営業されていました。

20代半ばにして遅ればせながらドグラ・マグラや少女椿、ライチ☆光クラブといった耽美的でアングラな作品に手を出し始めた頃のことです。
そんな「耽美な」世界にどっぷり浸かることができる場所は無いものかと調べ漁った結果巡り合ったのが「マリアの心臓」でした。

館内に足を一歩踏み入れた瞬間、私は一撃で心を奪われました。

隙間なく空間を埋め尽くす人形達。
耽美的球体関節人形の祖・天野可淡氏の希少な作品が展示されていることが第一の特色で、室内はひたすらに退廃的でダークです。
今にも崩れ落ちてしまいそうな生命達がこちらに何かを訴えかけてくる感じ、とでも形容しましょうか。
少し目を離すと次の瞬間にはいなくなってしまいそうな儚さがあります。
だから釘付けになります。
以前、思春期にグスタフ・クリムトの作品と出会ったことが嗜好や死生観に影響を与えたという趣旨の記事を投稿しましたが(下記リンク参照)、そういった背景と紐付いた感覚かと思われます。


しかし一口に球体関節人形と言ってもその面持ちは様々です。

特に私の目を惹いたのは、三浦悦子さんの作品です。
※かなり人を選ぶ作風の作家さんだと思います。ググってみようと思った方は予めご了承下さい。

作者が「義躰(ぎしん)」と呼ぶそれら作品には、傷・縫合痕・欠損・包帯といった要素が多分に含まれており、可愛らしい少女的な「ドール」とは体温感という意味で対局にある印象を受けます。
人体と楽器が繋ぎ合わさった構造の作品もありました。

先程「今にも崩れ落ちてしまいそうな生命達」という表現をしましたが、三浦悦子さんの作品は特にその色が強いと思います。限界ギリギリの崖っぷちからこちらを眺めています。
自ら死を求めているようにも思えます。
このような作品と出会うことによる死への極端な漸近は、翻って自分自身の「生」を強く感じる切っ掛けとなります。
心が落ちていて死にたいと思っているときよりも、生き生きとしたバイオリズムにあるときの方が魅力的に映るかもしれません。
少なくとも私の場合は。

そんな「マリアの心臓」ですが今年で閉館予定だそうです。
オーナーの片岡佐吉さんは、一見さんだった私にも温かく話しかけて下さいました。
閉館前の最終展覧会には恐らく行くと思うので、改めて感想を記事にしようかなと思います。

では。


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