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闘病記③カウンセリングと私

ところで、私はカレコレ、7年前からカウンセリングを受けている。
きっかけは、息子の癇癪だった。
2歳になるころには、立派な自我が出ていて、日常動作のやり直しとか、何を言っても「やらない!!」の一点張りとか、夜驚症に関連していると思われる起きぐずりなどが私を相当に悩ませた。

子育て支援センター、地元の大学の教育機関や、その附属機関、ネットを叩いてはヒットするところ、あらゆるところに相談に行った。

発達障害も疑って、児童精神内科を訪ねたこともあった。
子どもがどのような状態にあるのか、名前を付けてほしかったというよりは、名前がつくことによって、親である私の対応の処方箋が得られると思ったからだ。

何個目かの相談先として選んだとある病院の児童心療内科の医師に、「お子さんには問題はありません。お母さんが対応を変えれば、お子さんは変わります。うちでそのプログラムを受けるのはいかがですか。」と提案された。
やっと答えが見つかった。対処法が見つかったのだ。
霧が晴れたような気持ちになった。
これをきっかけに、対処を学ぶプログラムを含んだカウンセリングが始まったのだった。

カウンセリングは月に1回だった。
カウンセリングまでに、日々家庭内で起こった摩擦について、ノートに詳細に記録しておく。
カウンセリング当日に、その記録を読み上げ、臨床心理士と児童心療内科医が状況を分析して、助言していく、というような段取りだった。

私の家族との摩擦は、息子と夫にかかわることが多かった。
息子の2つ下に娘がいるが、娘との摩擦はほとんどなかった。
それらの摩擦の中で、私はどうにも怒りを抑えることができないのだということを、カウセリングのかなり初期の段階で、医師から指摘された。
怒りの根源はなんなのかという医師からの投げかけをきっかけに、その根源を探していく作業が始まったのだった。

しかし、そのカウンセリングも1年ないしは2年ほどで終了と決められており、明確な答えは見つからないまま終了してしまった。
それは息子が小学校へ入る直前のタイミングであった。

自分のことの掘り下げは十分ではなかったが、息子との関係は、ほんの少しだけど、良いほうへ向かった。

「相手をどうこうしようとしないこと」

これが、カウンセリング中、何度も言われたことだ。

泣きたいなら泣かせておけばいい。怒りたいなら怒らせておけばいい。
そうして、自分の感情を味わうこと。
泣いているのを大人が無理になだめたりして、感情を封じ込めてしまうと、本人が自分の感情に無頓着のまま大人になってしまう。自分の気持ちでさえわかならいから、他人の気持ちもわからない大人になると。

そんなようなことを言われて、自分と他人の間に「線」を引く作業をずっとしてきたのだった。

そうして月日は流れたが、摩擦のもう一方の相手であった夫との関係は、私の中で行き場のないものになっていき、現在はシングルとなり、子どもと3人で暮らしている。

家族の環境は変わったが、私の「怒りの根源」を解き明かしたい気持ちは変わらなかった。シングルになったのをきっかけに、場所を変えてカウンセリングを再開した。
カウンセリングを受けて1年以上たつ。

そして、卵巣に白いモコモコがあることを婦人科で発見されて今、ここで受けてきたカウンセリングで培った物事の考え方が、今回の病気への向き合い方に多いに役に立ったのだった。

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