見出し画像

自分の可能性に蓋をしていたのは自分だった話。【自己紹介】

はじめまして!ポジウィルでトレーナーをしております、上村英壽(かみむら えいじゅ)です。
このnoteでは自己紹介を兼ねて、私のこれまで、そしてポジウィルでトレーナー、カウンセラーとして働く理由をお話しいたします。

自分の過去に言い訳してきた人へ、自分に向き合わず逃げてきた人へ。自分の可能性は無限だと気付いてほしい。一歩踏み出す勇気が出ない人に届きますように。

自分の想いに蓋をした時

私は父、母、妹二人の外から見れば普通の家庭の育ちです。特に問題もなく義務教育を終え、周りの友人と同じように大学に行き、大病もせずここまですくすく育ってきました。嫌なことから逃げ回り、自分の想いにも蓋をして、、、。

あまり周囲の方々に伝える機会もないのですが、私は貧しい家庭の出身です。小学生の時は光熱費が支払えずに、電気が止まったり、ガスが止まったり、おかずはもやしやピーマンだけの日々。家も家賃が払えずに転々としていました。

幼少期の私でも貧乏だとわかる暮らしぶりでしたので、気付いた時には何かほしい、何かやりたい、と親に伝えることはなく、自分は願いを持ってはいけない存在なんだとさえ思っていました。子どもながらに親の顔色を伺い行動し、自分の想いにも蓋をした結果、卒業アルバムの「将来の夢」欄に何も書けない、無気力に映る自分が形成されていきました。

辛さから逃げることで痛みを避け続けた日々

私の中での一番の痛みは両親でした。働けども働けども収入を得ることができない父はそれを発散するかのように家庭内では烈火の如く暴れ、母はその様子を見て不安定になる。理不尽に攻撃される私は立ち向かうことはできず、次第にそれらをやり過ごすことや、親をこれ以上怒らせないように失敗を隠すことで回避していきました。

気付いた時には、失敗するなら最初からやらない、できないことはやらない自分が形成されて行きました。そうすると次第にできることも少なくなり、常に周りの様子を伺い行動する、自信のない人間に育っていったのでした。

ついに来た、乗り越えないと前に進めない「壁」

小中高大では常に嫌なことから逃げてきました。苦手な科目は勉強せず赤点。水泳は泳げないからお腹が痛いと嘘をついてズル休みする。嫌なこと、辛いことから逃げることが私が私を守る防衛戦略。学生時代はそれなりにこなしていれば、嫌なことや辛いことに向き合う必要はありませんでした。

しかし初めて、乗り越えないと前に進めない状況が現れたのです。それは「就職活動」です。「やりたいこともなければ、自分をアピールする材料もない」そのように感じていた私は、自分に向き合うこともせず最初からできないと諦め、「家庭が貧しいからアルバイトをしなきゃいけない」「卒業して公務員を目指すから就職活動はやらない」ともっともらしい理由をつけ、就職活動をしないという選択をしました。結果が出るのが怖い、自分を見つめた時に何もないと気付くのが怖い。そんな恐怖に立ち向かおうとすることもせず。

自分の奥底にあった価値観への気付き

そんな私は大学卒業後、フリーターになりました。こんな自分がまともに就職できるのは、公務員だろうなと試験勉強をしましたが、今まで嫌なことを避け続けた自分が、そんな生半可な覚悟で点数が取れるほどぬるいものではありませんでした。

そんな中途半端な生活をしていたフリーター1年目の冬に転機が訪れたのです。それは大学時代のゼミの同級生達と久しぶりに開かれた飲み会でした。学生時代と変わらないくだらない会話をしている中で、その当時にはなかった仕事の話が加わりました。私はもちろん話すことがなかったので周りの話を聞いていたのですが、営業の話、接客の話、何かを企画した話、、、彼らはそれを嫌そうに話していました。「お前はいいよな、フリーターは楽でさ。」そんな言葉も受けたのですが、彼らの話を物凄く羨ましく思った自分と、何かモヤモヤした自分がいたのです。

当時、私は自分自身のことを社会に縛られずに自由を謳歌している幸せな人間だと思っていました。そんな私がなぜ働いている人たちの話を聞いて羨ましく思ったのか。モヤモヤはなんだったのか、自分の気持ちと初めてしっかりと向き合った瞬間でした。
「彼らは何かに貢献している」「社会は人々の支え合いで成り立っているのに、自分の存在は誰のためになっているのだろう」そんなことが頭を巡り、私はこのモヤモヤに一つの答えを導き出しました。
「自分は誰かに貢献したいのでは?」

このことを当時のアルバイト先の方に伝えたところ、もっとその価値観を言語化するために自分の過去を振り返ってみましょうとおっしゃていただき、そこから初めて自己分析をすることになりました。
小さい頃のアルバムを引っ張ってきて、自分のことをよく知るために自分史を作成しました。
思っていたこと、やりたかったこと、楽しかったこと、辛かったこと、さまざまなことを言語化していきました。今まで自分で見て見ぬふりをしてきた、欲求や想いを抑えて生きてきたことや、辛いこと嫌なことから逃げてきたことにしっかりと目を向けることで、自分の可能性に蓋をしてきたのは自分自身だったということに気付いたのです。

できない自分に目を向けるのは非常に辛く、自分史を作るのは大変だったのですが、ある気付きがありました。
それは、「自分は誰かに貢献したい」という気付きは間違ってはおらず、自分の中で想いが強いということでした。

当時行っていた野球のコーチや、家族の関わり合いや友人との関わり合いなど、自分の成長よりも、自分が携わることによって他者やグループが成長していくことにとても価値を感じていたのです。

当時、自己分析して気付いたモチベーションの源泉
・自分が携わった人が、成長によって良い変化をしていくこと
┗そのために人が育つ環境を整えようと努力しようと頑張ってきたこと

自分ってこんな人間なんだ!このモチベーションで何かをやっている時は頑張っている自分がいました。自分だってやってきたことがあるんだ、、、。そんな気付きを得た私は、やっと就職活動を始めることができたのです。

今、私がポジウィルで働いている理由

色々な職種を調べていくなかで、学生の成長を環境面から支えることのできる、大学職員を目指すことになり、無事に入職することができました。入職後は就職・キャリア支援課という大学生の就職活動を行う部署に配属されました。
とにかく業務が楽しく、自分が言語化した大切にしたい価値観を体現できるという実感のもと働くことができました。

ただその一方で、達成感を感じたことはほぼない状態でした。支援した学生は内定を獲得して喜んではいましたが、新卒の就職活動はあくまでも社会人人生のスタート地点に立つために行うもの。就職することが大切なのではなく、実際に社会人人生を歩む過程で、自分自身がどうなっていきたいのかを考え続け、自分の居場所を見つけて行くことが大切だと思っていた私は、社会人の出発地点までしか支援できないことにもどかしさを感じていました。

その後異動をきっかけに、今後の自分について考え、転職を決意しました。そこで自分を振り返った時、再度洗い出して言語化した自分の価値観は、

・自分という存在を介して、可能性を広げられる人を増やしたい、選択肢を広げてほしい
・仕事だけでなく、人生の幅広い選択を支えていきたい
・自分自身も可能性を広げ続けたい

そんな自分の価値観を体現できるのはどこだろうと、転職活動をしていた最中に知ったのがポジウィルでした。まさにミッション、バリュー、事業内容全てが私の中でドンピシャ!
すぐに応募し、今ここでトレーナー兼カウンセラーとして働いています。

自己効力感を持てず、辛いことから逃げ続けフリーターにもなった私が、素敵なユーザーさんや同僚に囲まれて全力でポジウィルで働いている。そんな奇跡のような今を体現しているのは、自分の可能性に気付いてあげることができ、一歩踏み出す勇気を持てたから。

自分の可能性に蓋をしてきた人が、少しでも自分の可能性に気づいてほしい。そして自由に羽ばたいてほしい。そんな想いを持って私は皆さんと皆さんの幸せを追求していきたいと思っています。

最後までお読みいただきありがとうございました。
皆さんとお話できるのを楽しみにしています!

=================

「自分のキャリアについて誰かの意見を聞きたい」という方、ぜひぜひ壁打ちしましょう!無料カウンセリングはこちらから↓


人の人生の背中を押したい!上村たちと一緒に働きたい!と思ってくださった方もカジュアルにお待ちしております!採用情報はこちらから↓



この記事が参加している募集