和装と国葬
私は着物(和装)が好きだ。
2年ほど前に有資格者でもある叔母から声をかけていただき、週に一度お稽古に通っている。
着付けを習っている中で博学の叔母は私に様々な事を教えてくれる。歴史、地理など叔母の得意分野が多いが、学生時代ろくすっぽ勉強をしてこなかった自分にとっては毎週自分が生まれ変わる程の知識を蓄えることができる。
着物好き界隈では「着物警察」と呼ばれる方達がいるとのこと。
例えば大正時代に作られた鮮やかなな色の着物に、冬ならばタートルネックのニットを長襦袢がわりに、帯の代わりに幅広のレザーベルトをしてみたり、足元はブーツ。こんな着こなしを好んでされる方もいる。
着付け教室に通い始めてウキウキした気持ちで普段も着用し、月日が経つにつれ「あの着方はひどかった」と後に写真で振り返り苦笑いすることもあると思う。私はこちらのタイプだ。
先述した「着物警察」はこういった行為を許せないのである。
「今、何月かご存じ?」
「せっかくのお着物がかわいそう」
「私ならその合わせ方をしないな」
などと、嫌味なのか無意識のうちの本音なのかわからない言葉で逮捕しようとしてくるそうだ。きちんとした席であれば正当な注意なのかもしれないが、全くのカジュアルの場では私は他人の介入は不要だと思う。
こういった者たちは最近減少傾向にあると聞くし、わたしの周りの着物好きな方は、着物警察とは無縁の存在だ。
だがしかし、こういった人目により、着物自体を敬遠する人も少なくないと思う。
知らないのに着てはいけないような気がするからだろう。
先日安倍元総理の国葬儀に対しアンケートをとったテレビの一幕があった。国民アンケートの結果の割に、やけに賛成派が多く、反対派もTwitterなどで見る過激派ではなく、かなりマイルドな「どっちかってーと反対派」のような人を映し出していた。妙ではあったが、
その中に
「SMAPと共演してたのを観て良い人だと思ったから賛成」
と若い女性の意見があった。
その後Twitterを見ていると
「日本の教育の失敗」
「さすが○○○(その方の職業)頭悪い」
などと心無い言葉で溢れていた。
大学生が、なんとなく賛成というような意見が出たことに対して
「何のために大学へ行ってるんだ」
「新聞やニュースくらい見ろよ」
「嘆かわしい」
「知識が浅い」
などという言葉もあった。
Twitterでも、政治に興味を持った若者の少しの呟きに対し、「政治警察」は徹底的に追い詰めるような言い方をして逮捕件数の星狩りをしている。
そうか君はそう考えているのか。意見を聞かせてくれてありがとう。私の考えも悪くはないと思うが、若者のあなたの意見も聞かせてほしい。
とクールに言えないものかね。頭ごなしに否定し、寄ってたかって言い去っていく。
そんな大人の意見を誰が聞く耳を持つのか疑問である上に、テレビに勇気を出して出演した自分をそんなふうに揶揄され、若者の心は傷つかないだろうか。
私は自分の考えのもと、国葬は反対で、強行した現総理大臣は辞職してもらいたいと願っている。自民党政権が一刻も早く幕を下ろすことを望んでいる。だが、それを正当化し人様に無礼な言葉で追い詰めるような物言いをするような人間をとても尊敬はできない。
これじゃあまるで、日本に分断を生んで責任も取らずあの世へ行った人間の言いなりじゃないか。
国葬が執り行われる本日も、私は着物で晴れやかに一日を過ごす。