意思疎通ができる人たちが羨ましい

心で接するのは、当たり前の感覚ではないだろうか?
私にとっては、上になるのは罪の意識しかなかった。あとは「無」の感覚。能力主義とはいっても、秀才はエセだから元々毛嫌いしてた。塾の先生の子なのに、私は独学が好きで、塾に通うみんなと浮いている感じがした。

学校では無機質な説明が合わなくて、理論とか内容が入ってこない人は多い。だから、バカだと思われてる人が本当に全く勉強できないわけではない。やり方が間違ってるだけなのだと不登校になる前からわかっていた。

不登校は主に友人関係だとか、学校でのトラブルや成績不振、その他家庭的な問題や精神的不調が主な原因と言われているが、私はいずれにも入っておらず、ただ「時間を浪費したくない」という理由で拒否した。

箱庭では心の理論を学ぶことができなかった。(でも、その年には一応学校代表で英語スピーチ大会に参加するくらいのことはしてたし、クラスの雰囲気も今までで一番良かった。)
「学校が間違ってる」と明確な認識を持ち、それに関する記事や書籍まで購入した。もっと他の人にも広めるべきだと。
でも、上手く説明できる自信がなかった。どうせギョッとされるだけだろう。自分の説明さえままならないので、模擬面接でも私は終始無言だった。卒業式の日、廊下で立ち尽くして、諦めて帰ったのを覚えている。

だから通い続けてもコミュニケーション能力はつかないと判断し、その後通信制高校に面接などを含めて2~3回くらい通った。確かに普通の高校と比べると年齢層はやや広かったが、それでも同じくらいの年頃の人が周囲にいると妙に圧迫感を覚えて、「この人たちとは多分疎通できない」と初見でそう思ってしまった。

担任の先生とか、過去に意思疎通したいと思った人は数人くらいいたのに、連絡先が分からなくなって後悔したことがある。
noteでは少しばかり心を開いてもいいのかなと、まだ検討中だ。

仕事のローカライズの話とか、みんながあまり知らなさそうで、もっと実用的な話をするつもりだったのに、こんな個人的な話題ばかりで申し訳ない。

※共感されるように書けるスキル欲しいよ!

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