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Case Study - No,25「罪と罰」

【スピリチュアル・カルテNo,25】Aさんのケース

これは経過観察をしたケースではないから、
番外編のほうに書くべき内容なのかも知れないと思いつつ。

占いの仕事で占い館というところに出ていた頃、
人気があり、行列の出来ている同僚のブースに
ゴキブリを置いておいたり、
呪いの札をわざとらしくその人の荷物に隠したり、
そんな風に嫉妬深く、同僚の足を引っ張ったり、
嫌がらせをする人たちを見て、
悩んでいる人々の話を聞き、
人生のアドバイスをする占い師だからといって、
必ずしも他人に愛や思いやりがある人たちばかりなのではなく、
人間的にバランスが取れているわけではないことを思い知らされた。

それはスピリチュアルな仕事だけでなくて聖職者でも同じこと。

霊能者やヒーラーは、残念なことに「私のほうがすごい」みたいに、
実力を競うというか、いかに自分のほうが秀でているのか、を
誇示したがる人が多い、かなぁ。

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といいつつも、まあ、そんなこと言ってる私自身も、
人間的な欠陥や問題(トラウマやコンプレックスとか)を抱えたままで、
社会性や協調性も欠如していたことから(常識力もか)、
若い頃はヒステリーで角があってあちこちにぶつかり、
周囲には散々迷惑をかけた口なので、
他人のことを言えた義理ではありませんが。
まだまだ未熟で思い切りダメっぽ(今回自分のことは棚上げ)。

・・・・・・思うに、
占い師にしても霊能者にしても宗教家も
ヒーラーもセラピストも精神科医も、
何も問題がなく、人として一歩先を行っている人だからという理由で、
悟っているとか、高いステージにいけたとか、そういうことはなく・・・
その仕事を「させられている」わけではないということ。
むしろ、罪人の足を拭くように、
あまりにも人間臭いおのが罪の清めとして、
自分自身や業というものを知るために、
その業の深さゆえに、その仕事に就いている人が多いような気がする。

同時にそれは彼らにとって、「学び」のステージにもなっているわけで。

『他人のフリ見て、我がフリ直せ』的な意味合いとして。

人間の底深い心の闇、依存心の強さ、無責任さ、怠惰な行動パターン、
愚かで浅はかな考え、嫉妬や羨望といった醜い感情、
誘惑に負けやすい心、果てしなく尽きることの無い欲望、
支配欲、性欲、物欲、金銭への執着・・・等

様々なエゴイズムや人間が織り成すドラマを見、
他力本願で周囲に翻弄される人々や
因果応報的な災いを知ることによって、
そうした出来事の本当の意味を考えたり、
人の行為の無意味さを知ったり、
他人の中におのが姿を重ね合わせるなどして、
「何か」を学び取るために、過去の自分のような人たちをして教えられ、
なおかつそうした人々をサポートすることで、一種の「償い」のような、
カルマの返済を当人は意識しないうちに、
ガイドから仕向けられているようでさえある。

でも、
とても残念なことに
その「学び」に気づけてはいない人のほうが多いようだけど。

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さて『癒し』の仕事というと、人はどのようなイメージを抱くのであろう?
人を癒す仕事と言えば、文字通り。

けれど、「人を癒したい」といううちには、
その人は誰も癒すことなんて出来ない。
そういう人は、「人を癒せる自分になりたい」だけなのであって、
「人を癒す」仕事をすることによって、
自分には人を癒すことが出来る力がある、と、
そう外に向かって証明したいだけだ。

「ヒーラーになりたい」なんてのも、
「ヒーラー」になった自分に憧れているだけ。

「小説家になりたい」と言っている人もそう。
小説家になって周囲から認められ、
チヤホヤされている自分をイメージしているだけ。
本当の小説家になれる人というのは、
「こういうことを伝えていきたい。こうしたテーマ、文章を書きたい。」
という、まず書きたいこと、表現したい世界が先にあって、
その手段が小説という文章に表すこと、というだけなので。

まず、自分がしたいことありき。
こういう人たちにこういうことをしていきたいといとか、
こういうことを提供していきたい等、
自分が喜びを見出せる社会参画の形や、
他人に奉仕するときの好きな方法があって、
それによって業種が決まり、
そうしたことをしていくためには、
自分はどのような表現方法を選ぶべきなのか、
どうすれば自分が提供したいと思うことを一番、
適切な形で他人に与えられるのか、
自分の素養とか素質とか、性格や才能とか、今持っている技術とか、
そうした得意方面とすり合せた結果、
具体的な職種というものが見つけられるのだと思う。

「好きこそものの上手」ではあるものの、
ただ「なりたい」という気持ちだけでは、
人はその職業において、すぐ花を咲かせられるものではない。

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「我々のしようとしていることは、ボランティアではない。
 技術に対して、料金を請求する商売です。
 その技術が結果的に人を救うことがあるとしても、
 それを目的とするべきじゃない。
 そこらへんを間違えると、肝心の医療行為を謝りますよ」

・・・とあるコミックの中にあったセリフ。

何をするために、何をしたいがために、その職種であるのか・・・

(自分がその職業をするために何が足りていて、何が足りないのか、
ということを客観的に知っておく必要もある。)

そうした初めの目的意識、
何故その仕事なのか、何故その仕事をするのか、
といった『動機』の部分がしっかりしていないと、
多くのスピリチュアル的な職業の人が陥りがちな錯覚に陥り、
エゴイズムという罠に絡めとられてしまう。

「私は人を救うのが使命だ」なんて、勘違いを看板にして。

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紹介でいらしたその方、Aさんは・・・
ボディワークの仕事をしているとのことでした。
50代の主婦でしたが、とてもお元気で、若々しくて・・・
自宅を活用して、そこでサロンを開かれているとのこと。

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