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ここのところ、こちら方面のことを書いていなかったので久しぶりに。とは言うものの、サクッと短めですが。

幽霊の賞味期限いやさ寿命について。

まず、一般に目撃される幽霊と言うのは、人の幽体と霊体のこと(幽体と霊体の頭文字取って合わせて幽霊)でして。

すなわち…
幽体=四次元の身体であるサイキカル体
霊体=五次元の身体であるノエティカル体

三次元の身体である肉体(物質体/マテリアル体)が死滅した後、残る身体といったところ。

※一昔前と言うか、スピリチュアリズムが日本に入ってきた初期の頃(コナン・ドイルとかシルバー・バーチの霊訓あたり)の書物では、エーテル体とかコーザル体とかアストラル体とか、そのような用語が使わていたので、今でもそっちで呼ぶ人の方が多いかと思います。英国で心霊科学や心霊治療を広めたハリー・エドワーズもそっちの用語を使用していたと思ふ。けれど、オリジナルの霊的真理(心霊科学の礎たる秘教的教義)では、サイキカル体とノエティカル体と言う言い方をするのですね。ですので、私はオリジナルの用語の方を使用しています。もとはアラム語なんだけども。それを英訳した感じになるのかなあ。

般若心経もパーリー語がシッダルダの話していた言語に一番近いのだけど、何故かサンスクリット語がオリジナルのようにされちゃってますよねっっ 日本の般若心経は、中国語表記を日本語読みにしたもんですしお寿司。

で、その人のその人生でのパーソナリティ(人格/キャラクター)もエレメンタルとして、その人生の記憶(記録/データ)を固有に所持する存在として創られるわけです。これは死んだ後で取り出されるわけです。

なので、死んだ後には肉体を失くした実体としての幽霊(サイキカル体とノエティカル体の二つの身体)と言う存在と、その人生の人格としてのエレメンタルの二つが存在することになります。ここ、ものすごくややこしいんですけどね。

※人生の振り返り(内省的反省や処罰的な強制的反省)をしたり、あれこれと忙しい時期です。

でもって、さらにややこしいことに、亡くなった時の想い(想念)としてのエレメンタルを創ってしまうこともあるわけです。それは主として自殺したり、誰かに対して憎悪や恨み、執着など、今生に未練を持ってしまった時のお話。これは必ずしも「人」としての形骸を持っているとも限りませんが。

するってーと、その人自身の存在とも見まごうものが、3つ存在しちゃうっっ!…
てなことにもなってしまうわけですが。

で、本題。
幽霊と呼ばれる状態になった実体の寿命ですが。
まずは4次元であるサイキカル界に行くことになるわけで、そこでサイキカル体が持つのはせいぜい100~150年くらいですかね。次にノエティカル体だけになった状態で5次元であるノエティカル界の住人になるわけですが、これも持っても200年程度。

サイキカル体とノエティカル体は永久的な存在では無く、寿命というものがありますが、肉体よりは長持ちします。

とは言うものの、現代では転生までのスピードは速くなっていますし、それ以前の時代でも人は輪廻転生して3次元にて新しい身体を所有して、心機一転の人生をスタートさせないといけないということがあって、100年もサイキカル界にいるとかそんなことはありえなかったりします。

現実には、人は10~20年で転生しますから、サイキカル界やノエティカル界にいる時間はあっという間です。せいぜい数年。早い人は数か月しか滞在しない人もいます。レアケースで数日って人もいますしねぇ。※自殺した人や重い罪を背負っている人は、長いスパンの滞在になりますけど。

あ、育成中のサイコーノエティカル体は死なないです。これは半恒久的なもの。次の人生にも唯一持ち越すものですし。

幽霊とエレメンタル(人格としてのエレメンタルとそれ以外)の見分け方はおいといて…

人格としてのエレメンタルと幽霊は、普通の人には見分け方が難しく、一般的には両方とも幽霊として目撃されちゃうと思います。実際、一括りにされているわけですが。

でもって…幽霊ですけど、サイキカル界の住人となった幽体/サイキカル体は目撃されることは多々ありますが、ノエティカル界の住人となった霊体/ノエティカル体だけの存在は普通の人ではまず存在を知覚することは無理と言うか、難しいです。気が付くことは出来ないって言うのかな。
幽霊となってしまった実体は、いつしか視えなくなるというか、気配を感じることが出来なくなるはずです。我々三次元の存在には。

そうこうしているうちに、時は過ぎ、実体は六次元に行き、輪廻転生して三次元に新しく三つの身体を持って生まれてくるわけです。

ですが、エレメンタルの方は幽霊と違って、「死」がありません。人格としてのエレメンタルは「過去生の人格」としていつまでも存在し続けるわけです。
また、人格ではない想念としてのエレメンタルも同時に生き続けることになります。このエレメンタルの中には時に、当人の生霊みたいなものもあったりします。

だからまあ、肝心の本人は輪廻転生して今の人生を別の国や土地や性別に生まれ、過去を忘れてエンジョイしているのに、「過去生の人格」としてのエレメンタルは個別の存在として生き続けているので、場合によっては幽霊として目撃されてしまったり、口寄せや何かの方法でコンタクト取れてしまったりするわけなのですね。
その意味では歴史上の人物忙しス(ご愁傷様としか言いようがない)。

でも、過去生の人格が、いつまでも幽霊のように彷徨っているということもないのです。基本的には実体に帰属していますから(附属するデータとして)。

想念としてのエレメンタルは、困ったことにいつまでも執着や愛着のあるものに捕縛されたかのように居座っていることはよくありまして…

解りやすいのが…
自殺現場にいつまでも地縛霊として居続けるものや、戦国時代の落ち武者の幽霊とか、戦場跡で永遠に合戦をしている大勢の霊たち‥‥とか。海外ではロンドン塔を走り回っている有名な王妃とか。そんな古い時代の姿恰好をした存在たちでしょうか。これは実体ではないし、過去生の人格としてのエレメンタルでも無いのです。

この手の輩が一番厄介ですよね。何しろ、その時の「感情」または「思考」そして「行動」だけのいずれかで作られているから、人にあらずして話が通じない。

ただ、時間が経つにつれ、エネルギーさえ与えられない状態が続けば続くほど、薄らいでいきます。そんなんで、元気なのは300~400年くらいかなあ。それ過ぎるとだんだん弱まります。でも、「あそこには幽霊が出る」と、生きている人たちが意識し続けていると、エネルギーを供給することになるから、復活してしまうんですけどね。それが困りもの。

そんな感じでサクッと短めに軽く説明してみました。
あとで補足とかあったら、また別に書きます。

世界で一番美しい死に顔だわん💛

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