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こんな未来を迎えに行きたいな

NPO法人の理事として法人経営に携わりながら、就労移行支援事業所の管理を行いつつ、住居支援(シェアハウス)事業など福祉制度に依らないサービスを創出し、さらに福祉をもっと面白くするために、地域とつながりに行ったり、福祉人同士のコミュニティを作ったりしています。
何屋か分かりません。

最近、「福祉をいつまでも専門職のものにしちゃいけない」「福祉はもっといい意味で”一般化”しないといけないんじゃないか」と考えています。

全く異業種の方が、僕ら福祉業なんかよりもよっぽどか「福祉」なことをしていたりするのを目にすると、特に強く思います。
そもそも福祉って本来は多分職業や仕事としてするもんじゃないんです。

現行の福祉の業界

僕は、介護と障がいの分野で今まで仕事をしてきました。支援現場にもいましたし、管理職として運営や経営にも多少なり携わらせてもらってきました。

介護保険や総合支援法などの法制度についての勉強、疾病や障がい特性についての勉強、介助技術の勉強、SSTの行い方、随分現場で仕事を行う上での勉強会や研修に参加してきて、たくさんの専門知識が身につきました。

経営についてもたくさん勉強させていただきました。本はしこたま読みましたし、社内のセミナーにもほぼ参加してきました。

ただ、僕らが学んで、見てきたものってほとんど対人援助技術や、「知識」と呼ばれるもの、法律の解釈みたいなものばっかり。
経営についても結局法制度に基づいたものばっかり。たまに新しいものを学ぶにしても、新しい援助技術や援助のための「知識」なんです。

つまり、専門職が専門知識と技術を掘り下げていくことと、法制度の中でいかに効率的な経営を行えるか、というベクトルにどんどん進んでいっているんです。

これ、見ようによっては「福祉がどんどん福祉という枠組みを強固にしていって、一般社会とかけ離れていっている」とも見えませんか?

僕にはそう見えるようになってきたんです。

「専門職」という人達が福祉という概念を社会から切り取ったような感じです。自分達の専門性を振りかざして、他の誰にも手を出せないようにしてしまった。
もちろん僕もそれをしてきていたわけで、長い間それに違和感を感じもしなかったので。

現行の福祉の限界

偏見かもしれませんが、福祉業が専門性を高め振りかざせば振りかざすほど、なんか「専門職にしか携われない」利用者が増えていくんじゃないだろうか、と思います。

 
 
ちょっと逆説的すぎるかも知れませんね。
本来は、一般社会の中で生きづらさを抱えて、このままじゃ生きていくことに支障をきたすようになるから専門職の助けを借りる、が正しいわけですが、介護保険サービスしかり総合支援法サービスしかり、これがひとつの産業になってしまっているので、ぶっちゃけ本来の必要量以上のサービスを提供しているところもあります。

その時に振りかざされるのが「専門性」になってる。

福祉サービスで囲うんじゃなくて、社会で出来るだけ生活できるように、必要「最低限」の支援量を探らなきゃいけないはずだと僕は思うんですが、「こういうのは専門の人が対応しなきゃ」の一点で丸々と抱えちゃう。

利用者1人一回あたりいくら、の世界なので、結局経営していくには「1人でも多くの人に、一回でも多くサービスを使ってもらえーい!」という大号令がかかるわけです。

援助者が磨いてきた「専門性」は、図らずも利用者をサービスに繋ぎ止めておくための武器になって、なんなら利用を促すためのイベントやら何やらまで始まったりもします。

給付費で経営を回していくのが完全に経営のテンプレートになってしまっているから起きることです。
ビジネスモデルがワンパターンになっていて、他のマネタイズができなくなっている。

誰も他のサービスをしちゃいけないなんて言ってもいないのに、誰も他のマネタイズを考えちゃいけないなんて言っていないのに、まるでそれ以外に方法がないかのように、思考停止しているように見えるんです。

このサイクルが繰り返される限り、現場支援者は援助技術と知識をふんだんに詰め込んで、囲い込んだ利用者をいかに専門的に支援していくかに力を注いで、経営者は一人でも多くの利用者をできるだけ多くサービスを使ってもらうことに力を注いで、結果的に社会からどんどん引き剥がしていくような支援がスタンダードになっていくような気がしてなりません。

それが僕が考える現行の福祉のモデルの限界です。

もし新しい福祉の潮流が生まれた時には一気に色あせてしまうと思います。

未来の福祉の姿

例えば。

新型コロナウィルスのお陰(?)で、世の中のオンライン化は目を見張るほど一気に普及しました。
今までよりも「発信」することも「繋がる」ことも容易にできるようになりました。
それはそっくりそのまま自分達が「メディア」になることができるようになった、ということを指します。

そして、オンラインを用いることで「できること」はものすごく増えました。

Youtubeは自分達でも作ることができます。
SNSで発信することはホームページに情報を乗せて閲覧者を待つだけよりも能動的です。
いちいちおおげさに人を集めなくても、オンラインでイベントができます。しかもコストをかけずにこれだけの事は出来るんです。

給付費モデルに依存しなくても、クラウドファンディングで資金調達も出来る。
そもそも制度に依らなくたって自分達でビジネスを生み出せばいい。

今が一番「変わりシロ」がある。

福祉が自分達を「専門職の聖域」にするんじゃなくてむしろ解放していく、社会と一体になるように、どんどんシェアしながらいろんな社会と繋がっていくほうがよっぽどか今の時代は「福祉」じゃないでしょうか。

僕たちは、一般の経済活動を行いながら世の中で活動するんじゃなくて、社会の中の課題に向き合っていくことの価値を打ち出して理解してもらいながら活動していく方が自然です。

「1人一回いくら」を勘定しながら活動していくのは流石にもういいでしょう?

それなら必死で自分達の理念を語り続けて、訴え続けて寄付してもらうほうが真っ当です。
自分達の想いや理念を買ってもらって、それに報いるべく必死で自分達の活動を行っていくほうが真っ当です。

僕ら福祉業というのは、社会の中でこそその役割を果たせると思うので、もっともっと当たり前に社会の中に溶け込んでいくことがこれからの福祉業界の未来じゃないかと考えています。

繰り返しますが、僕の最近の思いは、「福祉を専門職が囲う世界にするのは違う」「福祉はもっといい意味で”一般化”しないといけない」です。

こんな未来を迎えに行けたらいいな。

福祉に携わる人達が、雇用ではないつながりを作りながらその中で新しい社会の中の「福祉的活動」を生み出せたらいいな、と思って作ったオンラインコミュニティ「ふくし会社margin」です。

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