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息子への愛 | コロナで知る自分の無力さ

東京 -
この写真は息子が初めて近所の公園の滑り台の階段を恐る恐るたった一人で登ったとき。落っこちるんじゃないかとハラハラした…上から見おろす初めての景色。彼にはどのように映ったんだろうか?

ちょうどこの時、コロナで全世界が停止状態。

8割が海外のクライアントだった映像ディレクター・演出家の僕は失業者になり、家からもほとんど出られず絶望していた。保育園も休園。コロナで突きつけられた自分の無力さ。SNSで誰も弱音を吐かないから失業者になったのは僕だけなのではないか?とさえ思い生きる道を考え始めていました。

映像制作の会社も人が入っては辞め、入っては辞め、どこの会社の社長も雇用で悩む。僕も同じ。それを10年以上続けていれば人との出会いにどれだけの価値や期待を持てるのか?情熱を持って接することができるのか?これは楽なことではなかった。

映画業界をサポートしようと立ち上げたアーティストの組合 TOKYO CINEMA UNIONも10年近く運営してきたのだけど、そこで何百何千と出会った人たちも今ではSNSの中に収まっているだけの存在がほとんど。組合で出資した作品に関わった人間も数年すれば恩など忘れる。友情も薄れる。学生時代と社会の現実にはかなりの開きがある。経営してこそ見える視点だった。

SNS時代の若者たちの心の中に吹いている風ももしかしたら同じなのかもしれない?と最近思えるようになった。

二拠点生活|田舎暮らし

ふとこの写真が出てきたので当時を思い返していたのですが、東京と茨城での二拠点生活を僕が始めたきっかけはコロナではなかった。その前から少しずつ考えていたこと。自分の中に、何か生きていく上で大切な本質的な部分が欠落していると感じてました。

人生の半分を生きてしまった。
僕は人のためになることがしたくて会社を作った。みんなの夢を叶えるために。組合も同じ。人一人では無力でも力を合わせれば大きな何かを成し遂げられる。その思いは今も変わらない。でもそう簡単ではなかったのも事実。

それが知りたくて、無意識の内にヨーガ(ヴェーダというインド哲学)をかじってみた。人がなぜ協力しあえないのか?なぜ私利私欲に走ってしまうのか。人が衝動に惑わされてしまう原理を学んだ。というか演技論と似ていたので学んだというよりも別の分野から知っていた同じことを改めて見た、と言ったほうが正解だろう。

僕は自分が本質と触れた生き方をしなければこのまま虚構の人生を歩んで終わってしまうと人生の折り返し地点で感じたんです。

自然農を始めた理由

そして、自然の暮らしを始めた。
無肥料無農薬の自然農をスタートした。
自然農は農法ではないんですね。生きる哲学そのものなんです。
自然を観察すること、そして自分が知っている、という知識をベースにした価値観に重きを置かないことなんです。

知らないこと、コントロールできないこと、を受け入れてみるんです。

なぜ慣行農法(今まで推奨された大量生産のための農業)では害虫と呼ばれる虫が大量発生するのか?野山では発生していないのに…

なぜ肥料をあげないと野菜が育たないのか?自然界では肥料など与えなくても草木は生き生きとしているのに…

なぜ農業では土を耕すのか?

これらを追求していくとたどり着くのは、今までの教育のあり方です。
何に教育は「価値」を置いたのか?
一律同じ人間を育てて、平均化した答えを出す使いやすい人間です。
そして「経済」や「お金」というものを均一化した角度で捉えて、それに当てはまる人間を育ててきた。

そのロジックと全く同じロジックで農に向き合った。

食糧難の時代という背景からすれば当然の経緯。
でもこれからは時代が変わっていきます。
AIの時代。記憶力=学力の時代は終わりました。では人の価値は?

コンビニやスーパーのレジも自動化、人が労働するエリアはどんどん減ります。「経済」や「お金」を別の角度、別の視点から見る新しい時代です。

今までのロジック価値観の捨てる勇気

農は農業とするとまさに工業製品の開発ですね。
これに近いことを福岡正信先生か岩澤信雄先生が本に書いていたような気がします。しかし英語にしてみるとどうでしょう? AGRICULTURE - アグリカルチャーなんです。農+文化なんですね本質は。

これはまだ新しいチャプターだと思っています。
二拠点生活や自然農で経験したことで言うと、まだまだ田舎暮らしをする人や自然と暮らす人の多くが、自然農=脱経済や脱資本主義なんです。

僕は会社経営をしてきた経験から、そして映画監督としてのアート活動の経験から、この考えが非常に幼稚であると考えています。幼稚と書きましたが馬鹿にしているわけではありません。

物事を白か黒の視点から見れば当然二極化になるわけです。僕はそのレベルの会話に興味がない。

決めつけないこと、コントロールできないことを受け入れること、今までのロジックではない視点や価値観から物事をみると言うことです。まだそのような意識の仲間に出会えていないのも事実です。だからこそ思うんです、自然と暮らし、自然農、二拠点生活という新時代のライフスタイルはまだまだ未成熟。これからどうにでも発展しうる、またはコロナが開けて廃れていく?どっちにいくのか?

残りの半分をどう生きる?

そして二拠点を1年終えて今ようやく自分の軸がしっかりした気がしています。

そして残りの半分しかないこの人生の時間を何に使うのか?
去年、京都賞の映像総合演出をさせていただいた時に撮影した世界的に有名なラトゥール先生。あんな元気だった方が突然お亡くなりになられた。命は1分1秒と減っていく。それを何に使うべきか?

先日、自分が運営するミニシアターの企画で若い俳優の頑張る姿勢を見ていて少し吹っ切れた気がします。今までやってきたことは良かったのだと自分を受け入れられたと言うか…そして小さな決意をしました。

”息子が誇りに思えるパパになろう”

それが今の僕です

今でこそ東京の素晴らしさが分かる。
人が作ってきた人工物はなんのためにあるのか?
着飾るためのファッションは何のためにあるのか?

人って素敵ですね。少しでも美しくあろうとする。
少しでも良く、快適であろうとする。

東京にはその要素が沢山詰まっていた。
視点を変えれば見える景色です。

東京での芸能活動と茨城での自然農。楽しみます。

PS 今週末は自然農のお米の収穫体験を実施します🌾
22年 10月22日〜23日 茨城県常陸大宮市
詳細はこちら
https://note.com/wishhouse/n/n312b961efbde

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