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職場で「この人に投票しろ」と言われたら?

 参考url:https://bit.ly/2xXpp4Y

 職場からの回覧で、「選挙には必ず行くように。できるなら○○に投票してください」、 または上司から「選挙行くのか? 投票は○○にしろ」―――――
 こんなことはあってはならないと知りつつも、現実にはそこかしこで行われています。
 職場以外ですと、縁故関係の上位から、事業で世話になった人から、地域コミュニティの偉い人から、つながりを辿ってやってきます。

 選挙で誰に投票するかは自由ですし、それを他に教える義務はありません。投票内容を聞き出そうとすることは法律で禁じられています。打診があった時点で「これはウラの話だな」と誰もが分かっているのですが、問題になることはほとんどありません。つまり、聞かれる側も選挙の裏舞台を容認してしまっている(共犯者にされてしまっている)ので誰が悪い、といった概念であったり首謀者が明確になりません。このような空気の中で手口が蔓延してしまっています。特に会社の管理部から書状が回ったりすると不正を訴えて行く先にも悩んでしまいます。上司や管理部からの指示は、指示系統の流れを使いますから基本異を唱える人はいません。そこで反論すると目立つからです。周りで見ている人も「黙って従っておけばいいのに…」という視線を投げてきます。

 選挙管理委員会もこの手のやりとりに何ら実質的な力を振るうことは期待できませんし、警察が入ってきてもどうだか。不正を糺そうにも告発者のメリットもなく、組織の中での立場が危うくなりかねないとデメリットしかないように思われます。上位圧力が支配的な状態です。

 では、指示された候補者に投票しなかったらどうなるのでしょうか?
 実は何もなりません。

 というのも他の候補者に投票して、会社なり上司に「言われた通り○○に投票しました」と申告しても彼らには分からないからです。

 ところが嘘を見抜かれてしまうのではないか、態度に出てしまうのではないかなどと職場や上司の監視に気を遣うことを恐れてしまいます。日常的で狭い集団の中では周りの人も貴方を見ていて、些細な言葉からありもしない悪意を拾い上げて上司に報告したり噂を広める密告体質の人も必ずいます。能力がない人が競争社会で生き延びるために他人の足を引っ張るという行為に長けて行くからです。
 しかし、ここまで気にして臆病に生きる必要もありません。逆らえない空気に取り込まれて平静に物事が見えなくなってしまっていませんか、と言いたいので状況を説明しているのです。むしろこんな嘘なら平気でついて構いませんし、むしろ相手を騙すべきです。言うまでもありませんがどこかで割り切らないとプライバシーは守れません。見抜かれたと思っても堂々としていればいいです。上司も会社も貴方に何もすることはできませんし、貴方が堂々としていれば自分たちが勘ぐりすぎではないかと思うようになります。最終的に貴方がこの話をコントロールできるポジションにいるからです。
 仕事の内容で平気で嘘をついてる人もたくさんいる筈ですが、こんな所で悩む人というのはだいたい嘘のつけない性格の人です。
 もちろん、公職選挙法を掲げて最初に要請を断わってしまえばいいのですが、なるべく当たり障り無くやりすごしたい人も多いでしょう。そもそもが「ウラの話」だと言うことは貴方も分かっている訳ですから嘘をつくことを気に病む必要はありません。

 こういった圧力をかけるために会社であれば「選挙に行ったか?」「どこに投票したか?」などを調査する書面が回ってきます。監視してるぞ、という脅しですが、会社にはそれを確認する手段もなければ正面からこの脅しをかける力もないことを冷静に考えましょう。淡々と事務的に望まれている選択肢に○をつければいいだけです。
 上司であれば「選挙行ったか? 誰に投票した?」です。「本当か?」と念押ししてきますがこれは脅しのために言っている一言です。だいたい碌な顔はしていないと思いますが「本当です」と言えばいいだけの話です。

 総じてお分かりと思いますが、これはほとんどイジメの社会構造と同じです。その場で同調しても後から社会問題になるのが関の山で、その時会社と関わりが切れていれば「やれやれ、やっぱりか。とんでもない職場だったな」ということになるでしょう。

 もう一つの考え方で組織票の問題を見てみます。このように思想的にも目的上のつながりもない所に集団の圧力で組織票を発生させるやり口についてです。
 最近、面白い話を聞きました。野党を支持する若者が選挙に行かないというので理由を聞いたところ、こう答えたと言います。
「(選挙で)負けるから行かない」
 なんとなく分かる気もします。現在の日本社会はたいへん敏感で、敗北==失敗=ドロップアウトという意識を学校教育から会社・職場にまで刷り込まれています。負けることが自分にとって汚点、負い目になりそれが内心ストレスになるということなのではないかと思います。
 組織票の指示に逆らって問題が起こるとすれば、組織が支持した候補が敗れた時だと思います。これは100%ないとは言い切れません。当然、落ちたらどうしよう、本当に指示通り投票したか追求する空気になるのではないか―――――
 もしくはそのお陰で、もしかしたらウチの会社が計ってもらっている便宜が失われ給与が下がるなどの不利益が出るかもしれない。
 …こんなことを考えるかもしれません。
 まず、候補者が落選した時ですが、これは悩む所ではありません。ウラから手を伸ばして不正をしようとした組織を叩いたのですから快哉を呼ぶ行為です。気分は良いハズです。ただし、あからさまにざまぁみろ、といった気持ちを態度に出してしまってはいけませんのでお気を付けて。会社が幾ら憤慨してみた所で彼らは既に負け組になっています。転落した彼らが幾ら脅しをかけてきた所でもう迫力はなくなっているでしょう。
 次に便宜の件ですが、これもかなりの分野である、もしくはあると信じられています。もし貴方が管理職よりのポジションであれば経営の汚い所も充分目にしていらっしゃるでしょう。しかし、これは本来会社が努力する分野ではないということを理解すべきです。貴方の一票とも関係ありません。それで現実的に不利益が出るということであれば、そもそも所属する企業が世の中の流れについていけていないということです。方向転換するのであれば早い方がいい訳で、既得権益に縋ってずるずると経営を続けた所で先はありませんし、強引な経営が社会問題にでもなればキャリアもマイナスに転落します。辛くとも方向転換や業態変更などの改革に目を向ける方が経営側の責任を果たすことになる筈です。当然ながらそういった経営側のウラの努力を現場の若い世代に背負わせて彼らの思想や生き方の遵法性を歪めてはなりません。まともな組織であれば人をまっすぐに育てる意義は感じていると思います。人の考え方や思いについて行くことで利益を伸ばすべきで、企業側からこれをコントロールしようとか自分たちの都合のよい領域に固定しようなどと考えることが誤りで、組織票というのはそういった間違った考えが生じた焦りでもあるからです。

 頑張って掘り下げましたが、私もまだまだ未熟なので読みやすい文章にならなかったかもしれません。投票率は年々下がり政治を諦めている人が多いのですが、新しい風も吹いており勿体ないと思いましたので書いてみました。最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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