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1人の女性がエンジニアになるまで

@wirohaです。東京でAndroidエンジニアをしています。
ガール・コードを読み急に人生を振り返りたくなりました。
「エンジニアに女性が少ない、増やしたい。みんなどういう経緯でエンジニアになるんだろう?」という思いから、自分の例を紹介してみます。

3/5 追記: I published an English version.

誕生〜保育園

私は名古屋で生まれ育ちました。幼い頃から親は「防衛医大に行きなさい」と言っていました。貧乏だったからです。防衛医大は簡単に言うと国のお金で医者になれる仕組み(諸々条件あり)で、親としては学費負担がないのが魅力だったのでしょう。

言う割にはお受験や塾に行くことはなく、普通に過ごしていました。絵を描くのが好きで、犬の絵コンクール未就学の部で最優秀賞をとったりし、絵を描く仕事が将来の夢でした。

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小学校

姉の影響もありゲームが好きでした。ファミコンソフト「星のカービィ 夢の泉の物語」の攻略本に制作者インタビューが掲載されており、このときはじめてかの有名な桜井政博さんなど「ゲームを作る人」の存在を知りました。

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また偶然テレビでボンバーマン3の制作話の番組を見ました。ルーイのドット絵が描かれる様子を見て心惹かれたのを覚えています。それを見てゲームクリエイターになりたくなりました。親の勧めで福祉系に進むことも考えており、簡単な手話(指文字)はまだ覚えています。

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小学5〜6年頃に家にPCがやってきました。まだインターネットはなく、タイピングソフトで遊ぶぐらいでした。私はペンの持ち方が正しくなく一度ついた癖は直らないと知っていたので、指のポジションを正確に覚えました。

同じく小学5〜6年頃、ゲームの話で仲良くなった男の子がいました。しかし思春期真っ盛り。周りに冷やかされ、困惑した私は男性を避けるようになりました。そこから中学・高校と男性とは話さない生活になりました。エンジニアは男性が多いので、男性と話さない生活が長いのはよくなかったと今では思います。

ゲーム自体は好きで、RPGツクールでゲームを作り姉と遊び合ったりしていました。初期化処理やフラグの条件での分岐など、プログラミングに通じるものでした。人生ではじめて無限ループを作ったのはこのときです。馬が歩き続け画面外へ行っても止まらず爆笑しましたw

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中学

家にインターネット回線が引かれ、自由に情報を取得し発信できる技術に魅了されました。ドットシティというチャットサービスにハマり、毎晩テレホタイムを待ってはお喋りしていました。

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当時まだSNSがないため、自分のホームページを持ちお互い行き来することがよくありました。私はV6が好きで、入り浸っていたV6ファンサイトの作成者が女子高生であるのを見ていたため、中学生の自分でも作れるかもと思いホームページを作りました。うまく表示されるのを見て、とても嬉しかったです。HTMLタグ辞典を片手にメモ帳で制作していました。

↓実際のホームページ(撮影は大学時)

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これと平行してV6のファンサイトも作成・運営し、ラジオの文字おこしを掲載していました。地方ごとに聞けない番組がそれぞれあり、ファン同士で文字おこしを共有していたのです。V6に関連したポストペット用おやつをドット絵で作成&配布もしていました。

中学3年生のときにドットシティのオフ会に参加しました。名古屋での開催は稀で運が良かったです。そこで中の人であるエンジニアさんとお話でき、さらに「作る人」が身近になりました。「C言語を学んでみたら」とアドバイスを受け、「高校ではコンピュータ部に入ってC言語を学ぶぞ!」と考えました。

ところが、第一志望の高校に落ち、第二志望の高校にはコンピュータ部がありませんでした。仮に合格したとしても、入部しなかったかもしれません。なぜなら中学にもコンピュータ部はあったもののほぼ男性しかおらず、自分のいる場所ではないと思い入部しなかったからです。勿体ないのですが、異性との接触を控え、大人しい性格に育った少女には難しいことでした。

↓結局高校では美術部に。右が私。部員はほぼ女性。

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ちなみに高専は存在自体を知りませんでしたし、親が常々「寮はやめておけ」と言っていたので寮である高専には行けなかったでしょう。素直な私は親の言うことを信じていました。

高校

この頃には親も妥協してきて「防衛医大に行け」→「名古屋大学でいいよ」→「国公立ならどこでもいい」と緩くなっていきました。

高校では化学が苦手で文系に進みました。理系に進めず、エンジニアには向いてないのかなという諦めを少し抱きました。

高校が超体育会系で合わず退学したいと常に思っていたため、大学は入念に調べました。その中で静岡大学の赤尾先生のblogを見つけました。各メディアの報道の比較・考察が書いてあり、メディアリテラシーを知り、マスコミといった道もあると気付きます。「情報系もエンジニアだけではない」と知り進学候補にしました。都心より生活費がかからず、国立大学で、文系学科は男女比半々男性だらけの中に飛び込む勇気が必要ない、という点で静岡大学情報学部情報社会学科に進学しました。

滑り止めには福祉系の学部も入れていましたし、プログラミングも未経験なのでエンジニアになるかははっきりしていませんでした。当時はお笑いが大好きで大阪への進学も考えるぐらい、ふらふらもしていましたw

大学

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入学して1年の授業でタイピングの成績が学年1位になりました!「1位が女の子なんて!」と先生に驚かれました。学科100人の前で立たされておじぎをして、いきなり目立っていたし恥ずかしかったです。C言語のプログラミングの授業も早くこなせる方で「プログラミング出来るかも!」と少し自信がつきました

しかしWeb系の研究室に出入りし始めたところ、先輩方が超優秀でした。優秀過ぎて自分とは違う世界だと思いました。例えば1人は後にDeNAでゲームアプリ開発の基盤を作るなど、業界で見ても非常に能力が高い例を見てしまった訳です(※だからと言って先輩は悪くない!)。研究室はほぼ全員男性で、気軽に声をかけたり混ざっていく勇気がなく、いつも女友達を連れて行っていました。

そこの先生に「学内ベンチャーの社長をやらないか」と声をかけてもらいましたが、他の方々と比べると自信がなくお断りしました。今思うとこれも本当に勿体なかったです。一般的に女性は自己評価が低く自信がない傾向があり(LEAN INにも統計結果として書いてある)、かつエンジニアでは少数派です。自信がなくても、目立っても屈しない(もしくはそれを活用する)心が必要なので、エンジニアへのハードルは男性より高いのではないかと個人的には思います。

就活、ところが…

先輩との実力差を感じていたため、東京のWeb系の会社はあまり受けませんでした。交通費の捻出がしんどかったのもあります。奨学金を満額(月10万円)借り、土日祝すべてバイトに費やし、親を養い、学費は全額免除してもらえるほど生活に困窮していました。受かるか・やっていけるかわからない東京への交通費が惜しかったのです(ある程度選考が進めば交通費を出してくれる会社は多い)。地方育ちの自分には東京が怖かったのもあります。無難に地元名古屋のSIerに就職が決まりました。

大学4年になると就活も終わり、授業がほぼなく時間ができたので文字おこしの求人に申し込みました。面接で「あなたのスキルなら開発をしてほしい」と言われ、PHPのプログラミング、DB設計、QAなどをし重宝されました。そこで「あれ?自分実は十分力がある??」と感じました。

卒業間近の頃、チームラボのアルゴリズムコンテストに応募しチームラボ賞(最優秀賞)を受賞しました。発表&授賞式でチームラボ社に行ったところ「女の子!?」と驚かれました。実際他の参加者はほぼ男性だったと思います。チームラボ社への入社のお誘いもいただき、実は東京でやっていけるっぽいとわかりました。

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新卒入社

同期10人の男女比が2:8と女性が多い珍しい世代でした。出産後も働ける安定した職場だと女性からの人気が高いのかもしれません。この比率だとさすがに男性がたじたじとし、逆転現象が起きていました。

新卒研修はとても良く残業も少なくて働きやすい会社だったのですが、業務内容は自分とはあまり合いませんでした。某社の独自開発環境でのメンテナンスや、PL/SQL、エビデンスのスクショをExcelに貼り続けるなどです。

趣味の開発は続けていて、カーリルAPIコンテストでグランプリを受賞しました。このときも発表しに東京に足を運び、「東京に住んだ方がいいのでは?」と思うようになりました。

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夏期休暇を取り18きっぷで面接に行き、DeNAさんとミクシィさんに内定をいただきました。悩んだ末、ミクシィさんに入社を決めました。DeNAさんの最終面接は稲村さんで、お断りの際「一緒に働きたかった」と残念がってくれました。同じ女性ですし、キャリアが似ており親近感を抱いてくれていたようで、連絡先交換もしました。(その後連絡したことはないですが…w)(2/7追記:話題になったので今になって連絡し「エピソードに登場できて嬉しい」と言っていただけました!)

上京

ミクシィではSNS mixiの開発をし、PerlとJavaScriptを書いていました。とても楽しく充実し、メンバーも素敵な人ばかりで、それぞれ退職した今でも仲良くしています。社内ハッカソンで優勝するなど活躍も出来ていたと思います。諸々の受賞歴はほぼアイディアと見せ方勝負で「低コストで面白いことで魅せる」力に長けているようです。

社内でAndroid/iOS開発講座が開催され、Android楽しい!と思うようになりました。単純にお金がなくてMacが買えず、iOS開発は出来なかったのもあります。

転職

ミクシィで3年開発を楽しんだ後、リクルートの新規事業開発部門に転職しました。はじめはAndroid開発をしましたが、流れでディレクター→プロダクトオーナーになりました。技術が理解でき、新卒時代のQA知識があり、美的センスがあることで、アプリ全体をコスパよく改善できていました。高く評価されてたので自分はエンジニア以外の方が向いているのか、いまだによくわかりません

担当アプリを事業譲渡し区切りがついたので4年で転職し、現職に至ります。エンジニアの方が楽しいので、Androidエンジニアに舞い戻りました。DroidKaigiのスタッフをしておりセッションを見て多少知識はあったものの、実務経験は少なかったので受かったのは奇跡だと思いました。

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結婚…していない

いい年ですが独身で子どももいません。「仕事と出産・育児をどう両立するか、辞めるのか」という女性の大きな問題へのヒントは提供できません。ただ仮に出産しても続けられる職場に絞って転職活動をしてはいました。その考慮を外せばもっと選択肢はあったのかもしれません。

女性は結婚相手次第で住む場所がかわることもよくあります。海外移住についていき、ビザ問題で就労が不可能な例も身近で見ました。20代の頃は「早く結婚相手を確定して自分のキャリアを決めたい」という理由で婚活をしていました。今は婚活へのリソース配分は切って、人生のステークホルダーが自分だけなので気楽です。

今後

「お金がない」「結婚・出産をどうするか」の悩みがなくなり自由の身です。スタートアップに入るといった冒険もできます。ただ、0→1の技術力はないと思うので、まだ現職で技術力を伸ばしたいと思っています。Android一筋で来た訳ではなく技術力はまだまだですし、若い頃に比べ体力の低下も感じるので、これから挽回できるか不安ではあります。

もしかしたら「スタートアップは無理」という考えも人生で散々経験した自信がないゆえの機会の損失かもしれません。諸々わからない中、最近はイベント自粛等で社外との交流が減っています。社外の女性エンジニア達がどんな開発・生活をしているのかお話したいと思っているところです。

おわりに

長文の自分語りとなってしまいました。1人の女性がAndroidエンジニアになるまでの道とそのハードルの一例として参考になれば幸いです。自分としてはエンジニア職の女性がもっと増えて居心地が良くなると嬉しいのですが、小学生のなりたい職業で既に男女差がついているようです。

「ゲームクリエイター・プログラマー」は男子1位、女子は圏外です。この現実は自分1人が頑張っても変えようがありません。ホームページ作りなど今時はしないでしょうし、自分の例は再現性がありません。ただなるべくハードルを取り除いて、自信とチャンスを与えられればもっと増えるかなぁと思ったりしています。

これは個人の考えであり全ての女性エンジニアの代弁をしているつもりはありません。このnoteをきっかけにいろんな方とお話が出来たら嬉しいです。ここまで読んでくださりありがとうございました。

1/30追記:この記事を書いたきっかけの裏話や、その後の反響、今の気持ちやいい話などを近況fmでお話させていただきました。初のPodcastで練習して取り組んだので、聞いてもらえると嬉しいです。
https://anchor.fm/atsuko-fukui/episodes/FM-2-wiroha-epkcdf

1/31追記:他の方々も続々と経歴を書いてくださり、@chaspy_ さんと @_a0i さんがまとめを作成してくださいました。参考になれば幸いです。 https://womeneng.jp/links/

3/23追記:朝日新聞の方から取材を受け、このnoteとその後の広がりについての記事が紙面・デジタルに掲載されました。他の方々が続いてくださりムーブメントとなったおかげで貴重な経験ができました。ありがとうございました。

@wiroha

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