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「優等生」って、言わないで。

 小学生のころから、よく「優等生」と言われてきた。実際、成績は悪くはなかったし、なぜかずっと先生に目をかけていただいていた。別に胡麻を擦ったり媚を売ったりしたわけではない。ただ、社宅住まいだったこともあってか、どうしたら大人に「いい子」と思ってもらえるのかを嗅覚レベルで知っていたのだろう。

 だけど、「優等生」って褒め言葉じゃないよなと思う。本当にずば抜けて優秀な相手には、使わないでしょ。

 先生のお気に入りだからか、表立って何か言われることはなかった。けれど、一部の女子が裏で「知ったかぶり」「エコひいき」「ハーマイオニー」と言っているのは知っていた。そんな彼女たちが表で口にするのは「優等生」。褒め言葉じゃない。ああ、関係ないけど「ハーマイオニー」は私好きだから悪口になっていないし、本当に優秀な彼女に失礼だから謝っときな、ハーマイオニーに。

 大人のいう「優等生」は、褒めているつもりかもしれないけれど、要は「手のかからない子」なのだろうと思う。特に中高になるほどその傾向は強く感じた。先生方には良くしていただいていたけれど、その一方で問題児といわれるやんちゃっ子たちがうらやましかった。
 だけど、やんちゃっ子になるほどの勇気はなかった。だって私は、可もなく不可もなく、6割の力で平均的に80点をとり続ける「優等生」だから。

 ガリ勉? バカなこと言わないでほしい。勉強なんてそんな真面目にしていない。もっとやればもう少し偏差値を上げられるだろうけど、まあ親や先生の思う合格点を取り続けられれば1番になんてならなくていい。80点の「優等生」でいいじゃないか。そうやって本気を出さずにやってきた。本気を出すのが怖かったような気もする。
 大学の授業も、興味の湧かないものは単位を取るためだけに最小限のエネルギーでクリアした。テスト前に教科書と授業プリントに線引きするだけ。筆記試験重視の学部でよかった。将来的に院に行ったりする選択肢を広げるには、もう少し平均評価を上げておくんだったなとも思う。けど、まあ、いいでしょう、ダブることなく卒業したんだし。

 よく太ももに切り傷を作ってきた彼女は、「つーちゃんって、天使だよね」と言ってきた。「つーちゃんが思っているほど世間は綺麗じゃないから、今のまま社会に出たら騙されるか傷つくかするよ」とも。
 気づいているかしら、私はあなたの話をそんなに聞いていないってこと。ただ「優等生」をやってきたからね、何となく見えるの、あなたがなんて返して欲しいのか。面倒だからそのまま返しているだけ。それを「天使」って、おかしいよね。
 勝手に純粋無垢なものに神格化しないでほしい。腹の底ではいろんなものを見下し諦め嘲笑っている、ただの「人間」なのだから。

 ずっと「優等生」で進んできた私は、自分で言うのもなんだけど、仕事もまあまあ優秀だったと思う。特に得意なのは、周囲からもらったフィードバックの反映。0から生み出すより、反応から相手の意図を汲んでブラッシュアップするほうが得意なの、「優等生」っぽいよね。
 先輩には「廣瀬さんは新しい領域にも飛び込む力がある」なんて言われることもあるけれど、それは高校からずっと学生やアルバイトという責任の少ない立場でイベントスタッフなどをしてきたから。下敷きとして参照できる引き出しが、社会人経験が同程度の他の人より、ちょっと多いだけ。初めてのことは、めちゃくちゃ怖い。腰がひける、臆病なんです私。だからできるだけ「初めて」を「初めて」にせず、責任を回避しているだけなのです。それを優秀に見せてしまうのも、やっぱり「優等生」っぽいよね。

 だけど最近は、「優等生」とこれまでの経験貯金だけでは乗り越えられなくなってきた。後輩ができて、チームで動いて、立場が変わって、案件のタイプも変わったりして。それほど難しいことをしているわけじゃないはずなのに、今までのようには見通しがつかない。帳尻合わせで最終的にいい感じにするワンマンプレーが効かなくなったとき、頼りにしていた灯台が霞んで見えなくなるような気がする。
 でもきっと、私は明日も社内には笑顔で「大丈夫! なんとかなる!」と言って出勤する。私が不安な顔しちゃダメだって。死ぬわけじゃないしと言い聞かせて。だって、私は「優等生」だから。

 いや、違う。「優等生」だから、じゃない。
 それが、ただただ「廣瀬翼」なんだ。

 作っているわけでもない。不安な私も、手を抜こうとする私も、周囲を見下している私も、自分のことすら「優等生」と言って嘲っている私も、時折PCをぶん投げてぶっ壊したくなる私も、他責的になる私も、責任をできるだけ避けようとする私も、だけど責任を人一倍感じる私も、美味しいものを食べて無邪気に笑っている私も、ご機嫌に歌を唄っている私も、単純ですぐに騙される私も、自分の好きな人や物をどんどんシェアしたくなる私も、ただ眠い眠いと言っている私も。全部全部、「廣瀬翼」の一部だ。

 最初は周囲に言われた「優等生」の言葉。それをいつしか自分で自分にかけるようになっていた。だけどそうじゃない。優等生の側面もあるし、優等生だけでもない。もっと私は、豊かだ。そんな一つの言葉で表せない。私は「廣瀬翼」なのだから。
 褒め言葉や、いいねの数や、金銭に調教されないで。ネガティブで何もせずに引きこもっていたい私も、アクティブで何かに向かって駆け出したい私も、両極端な自分をしっかり握ってその真ん中でどっしり構えてバランスを取り、ただただ「自分」でいるんだ。

 笑顔、ときどき不安定。明日からも、それでいい。そんな私で歩きだす。だってそれが、「廣瀬翼」なのだから。

 そうして、「優等生」の枠なんかにハマらずに、ぶっ飛ばそう。今度こそ、本気を出してみよう。新しいものを作っていこう。

 ね、だからもう、「優等生」って、自分で自分に言わないで。

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