グラミー賞の最優秀アルバム賞に輝いたテイラー・スウィフトの"folklore"の芸術的魅力
2021年3月14日の第63回グラミー賞で、テイラー・スウィフトの“folklore”が最優秀アルバム賞を受賞しました。昨年7月24日に8枚目のアルバムとして突如発表されたこのアルバムは、すぐに全世界で話題となりました。私も昨年、シンガポールの自宅でリモートワークをしながら、このアルバムをかなり聞いていたので、この受賞はとても嬉しいです。
私は音楽の専門家ではないので、このアルバムの音楽的見地からのコメントは控えたいと思いますが、コロナの時代にぴったりのトーンで、まさに時代が求めていたアルバムであったかと思います。
2020年の春先に予定されていたコンサートツアーがコロナで中止になり、音楽活動の先行きが見えなくなっていた状況の中で、テイラー・スウィフトは、アーロン・デスナーや、ジャック・アントノフらと、完全リモートで新たなインスピレーションに基づいて曲作りをします。
実際に顔を合わせることのできないという逆境の中で作られたこのアルバムの中の曲は、彼女のこれまでとは違う曲作りを可能にしました。逆境を踏み台にして、新たな境地を見出すという、コロナ禍の中でのピボット戦略とでもいうべきものでした。そしてそれが大成功したのが、このアルバムです。
私がこのテイラー・スウィフトの“folklore”を好んで聞いていた理由は、その詩の世界観と、アルバムと同時に公開されたオフィシャル・リリック・ビデオでした。このリリック・ビデオは、従来のミュージック・ビデオとは違って、歌詞を主体にしたオフィシャルのミュージック・ビデオです。本人も登場しなければ、余計なストーリーもありません。シンプルな背景映像に、歌詞が出てくるだけのもので、アルバムに収録されている16曲すべてが作られています。
歌詞の映像というと、安っぽいカラオケ動画を想像するかもしれませんが、映像が素晴らしく、文字のグラフィックも非常にセンスが高く、曲の世界観を見事に反映していると思いました。
何が素晴らしと思ったのかについて書いてみたいと思います。そして、後半で、その中でも、とくに素晴らしいと思った曲“exile”について語ってみたいと思います。少々マニアックな内容になって恐縮です。
曲はそれぞれ素晴らしいのですが、ほとんど変化のない映像の使い方と、タイポグラフィー(文字のフォントの選択とレイアウト)の美しさに魅了されました。文字に関しては、私は広告代理店で、海外向けのグラフィックデザインに関係していたので、多少の知識があるのですが、このビデオの文字の使い方には惚れ惚れとします。
16曲の中で、3種類のフォントが使われています。IM Fell DW Picaのローマンとイタリック、あとフォント名は特定できないのですが、昔のタイプライターでよく使われていた、おそらくCourierというフォントだと思います。
Fellという書体は17世紀に英国のジョン・ビショップ(John Bishop)という聖職者が作った古い書体で、文学作品の印刷などでよく使われていました。それを、イジノ・マリーニ(Igino Marini)というイタリア人が、現代のコンピュータ用のフォントとして復刻したのがこのフォントです。書体名の頭についているIMというのが彼のイニシャルです。
それぞれのフォントをどの曲で使っているかというと、次のようになります。
IM Fell DW Pica Roman (4曲)
the 1
IM Fell DW Pica Italic (5曲)
seven
cardigan
my tears ricochet
mirrorball
peace
Courier (7曲)
epiphany
betty
the last great american dynasty
august
invisible string
this is me trying
hoax
それぞれが、それぞれの曲に合わせて、美しく文字組みされているのですが、かなりのこだわりが感じられます。folkloreとは民間伝承という意味なのですが、古い書物に使われたり、昔のタイプライターで物語を綴っているような雰囲気がします。
この中で、特に印象に残った“exile”の曲を取り上げてその素晴らしさを語ってみたいと思います。この曲は、グラミー賞の中でポップ・グループ賞にもノミネートされていました。
まずは、この曲のビデオをご覧いただきましょう。
男と女のすれ違いとその結果の別れを歌った切ない内容です。別れた後に流浪の身となるということで、“exile”というタイトルがついています。ありがちな内容ですが、それが見事な様式美を伴って表現されているところが印象的です。
まず、歌詞がクラシックな韻を踏んでいます。
1行目のhoneyと2行目のbody、3行目のallは、6行目のhallと呼応しています。そして4行目と5行目は、minutesとme with itで響きを同じようにしています。
このようにいくつかの行末で韻を踏んでいて、歌詞としての美しさを際立たせます。
それがさらに、男性のパートが終わり、女性のパートになるのですが、この構成も美しいです。最初は男性の視点で語り、その同じ状況を今度は女性の視点で語ります。そして、いくつかのキーワードがこれまた音を合わせてあるのです。
両方のパートの一行目が、ほとんど同じで、“standing”と“staring”という言葉が違うだけ。さらに、“my homeland”と“your problem”、“defending” と“offending”、そして“town”と“crown”の対比という左右対称の構造美があります。
別れた彼女が、新しいパートナーと一緒のところを目撃し、ジョークを言っているけど全然面白くないと男は思ったりする。一方、彼女は、男が見ているのを知っていて、新しいパートナーのことを男の“understudy”(演劇の舞台でいつでも代わりに演じられるようにスタンバイしている代役のこと)のように思っているのではないか、そして彼女を奪い返すために拳を血にそめてもいいと思っているのではないかと感じている、という両者の視点が対比されています。
男は、女が突然去っていったショックから立ち直れず、未練たらたらなのに対し、女は、何度もチャンスがあったのに男がそれに気付かなかったと不満をもらす。お互いへの思いを引きずりながら、別れていくカップル。とても切ない設定です。
また、「こういう映画は前に観た気がする。エンディングが好きじゃなかったけど」(I think I’ve seen this film before. And I didn’t like the ending.)というキーとなるフレーズが出てきますが、これは、二人の物語を映画に喩えていると思われます。そういう流れで、この“hall”というのが映画館であり、“side door”というのが、映画館の横にある出入り口なのではないかと思われます。
男と女の微妙なすれ違いを、デュエットの形で表現しています。同じような言葉であってもそれぞれにとって、意味が異なっているのですが、それは歌詞の中の“We always walked a very thin line” (我々は紙一重のギリギリのところを歩いてきた)や、“Balancing on breaking branches”(折れそうな枝の上でバランスを取ってきた)という表現に現れています。
この歌詞の内容のバランスが、詩の形式のバランスとオーバーラップしているところに私は美しさを感じてしまうのです。同じ言葉とメロディーを共有しながら、気持ちはすれ違ったままであるという事実。それでいて一つの曲として完成しているという事実。こういう美しさがこの曲にはあります。
また文字の組み方が美しい。男と女のパートを左右に振り分けての配置が美しいです。結局、彼女の気持ちがわからず、彼女からのサインを感じ取れなかった男。何度もサインを出していたのに、それに気付いてくれなかったと言う女。はてしなく続く平行線のようなこのリフレインが、左右対称のタイポグラフィーでレイアウトされています。それが、また切ない。
そして、導入部分で、書体(フォント)の話をしましたが、このIM Fell DW Pica Romanという書体には、リガチャー(ligature)というのが象徴的に機能しています。これは昔の活字の時代、文字の間隔が空きすぎてしまうのを嫌がってあらかじめ二つの文字をくっつけて作られた活字のことです。日本語では「合字」と訳されますが、ffやfiのような場合、二つの文字をあらかじめセットで一つの活字として、文字組みを美しく見せようとする伝統的な手法です。このフォントの場合、cとk、sとtなども、リガチャーとしてくっついています。かつて現代ではほとんど見る機会のなくなってしまったリガチャーをこのビデオで何年かぶりに見て、感動してしまいました。
この画像が、リガチャーが使われている文字ですが、fiは、fとiをくっつけてあり、iの文字の点は無くなっています。ffの場合は、横棒が連結しています。ck、stなどは独特のくっつき方をしていますね。
私は、海外向けの広告や印刷物の制作の仕事を長くしていたので、欧文活字や、組版のことは一通り勉強していました。コンピューターでのデザインが一般化し、実際に活字で文字組みをすることも無くなってしまった現代では、デザイナーでもリガチャーの存在を知らない人が大多数になってしまいました。そんな中で、このリリックビデオでリガチャーを何年ぶりか、いや何十年かぶりに見て、私のような人間はノスタルジアを感じてしまうのです。
ちっと深読みしすぎかもしれないのですが、このリガチャーという存在に、この”exile”という曲のテーマが象徴されているのではないかと思うのです。男と女の結びつきのドラマを私は、リガチャーに感じてしまいます。男と女のデュエットであるということ、異なった考え方を一つに合体させて形を整えるということ、リガチャーを見て、そんな気持ちを抱く私はちょっとマニアックすぎるのかもしれません。
“exile”以外にも、リリック・ビデオはどれも素晴らしく、その歌詞も、映像も、文字組みも素晴らしいです。また、アルバムタイトルのfolkloreを始め、それぞれの曲のタイトルの頭文字がすべて小文字というこだわりも実にかっこいい。
アメリカにe.e.cummings(イー・イー・カミングズ)という詩人がいます。1962年に亡くなっていますが、彼の詩も、小文字を多く使っていて、独特な文字組みの詩が多くありました。一つの詩はこんな感じです。
私は英文学を専攻していたのですが、学生時代、彼の詩集を見たら、その文字組みの斬新さに感動した記憶があります。テイラー・スウィフトのリリックビデオを見た時、ずっと忘れていたこの詩人のことも思い出したのです。
この”folklore”のアルバムは、単に音楽のアルバムというだけでなく、物語であり、詩であり、映像であり、タイポグラフィーであり、アートであり、その全てを包括した芸術作品と言うことができるのかもしれません。
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