#雑記「小学生時代」

小学校の時は、
クラスで人気者でもなく、
ふつうの生徒だったと思います。

クラスのみんなとは浅く広く仲良くて、
誰とでも分け隔てなく仲良くしていました。

嫌いな人もいなかったし、
好きな人もいなかったけど、
遊んでいて心地のいい友達はいました。

小学生時代も、
たぶんもっと小さなころから人見知りで、
さらに自信もなかったので自分から声を掛けたり、
わいわい楽しんだりというのはあまりできませんでした。

なので学年が上がるタイミングでクラス替えで
仲良かった友達と離れてしまうと、
廊下で会っても緊張してしまって
どう接したらいいかわからなくなり
うまく話したりすることができなかったです。
大人になった今でもこんな調子です。


夢の話

夢はたくさんありました。

たくさんあったというよりかは、
ころころ変わっていた気がします。

お笑い芸人や、弁護士、お医者さん、体操選手など、、

いろいろありましたが、
共通することは
人を笑顔にしたいとか、
困っている人を助けたり救いたいとか
誰かのために、という思いがこの頃から強かったと思います。


ポケモン

僕が小学1年生のころに、
ゲームボーイの金と銀が発売されてクラス中で流行っていました。

ポケモンは僕もやっていて、
放課後に友達とバトルしたりしていた記憶があります。

そんなに弱くはなかったけど、
めちゃくちゃ強いってこともなかった気がします。

そのあと4年生の時くらいに、
ゲームボーイアドバンスでルビーとサファイアが出て、
それもかなり流行っていました。

たしか友達の秘密基地を登録できて、
家で一人でも友達のポケモンと対戦ができるみたいなのがあった気がします。


休み時間

2年生のころは、
折り紙でジャンプできるカエルを作れる子がいて、
作り方を教えてもらって僕も作ったら
めちゃくちゃジャンプするカエルを作れて、
それがきっかけでクラス中で折り紙が流行りました。

上に50cm以上跳ぶカエルを作ったり、
机3個分くらい前に跳ぶカエルを作ったり。

この頃もうひとつ、女子が迷路を描いていて、
それを真似ていっぱい描いていたらそれも流行ったり。

僕のきっかけでクラスで流行ったということが
すごくうれしかったという記憶がぼんやりとあります。

あと自分きっかけで流行ったと言えば、
数字の通りにマスを塗りつぶして絵を完成させるロジック?
が流行りました。6年生の時だったと思います。

ロジックは僕のじいちゃんが時間のある時によくやっていて、
教えてもらったのがきっかけで家でもたまにやっていて気がします。

何がきっかけでクラスでも始めたのかは覚えていないけど、
やり方を友達にめっちゃ教えていたのは覚えています。

高学年の頃は、
他にもおにごっこやかくれんぼをめちゃくちゃしてた気がします。


習い事

僕は2年生の頃から卒業まで駅前にある体操教室に通っていました。

水泳も習わないかと親にも言われていたのですが、
出来上がっている輪の中に入って自己紹介をしてということが
ものすごく嫌だったので水泳はしなかったです。

体操教室に行き始めた理由ははっきり覚えてはいないんですが、
友達が通っていたというのは理由の一つにあった気がします。

足が速いわけでもなく、運動神経だって良くも悪くもなく
といった感じだったのですが、
鉄棒やマット、トランポリン、跳び箱を毎週やっていたので、
徐々に上手になって学校でも運動神経のいい子と同じくらい目立つようになりました。

体もめちゃくちゃ柔らかくなりました。


受験勉強

体操を習っていたこともあって、
中学でも器械体操ができるところに行きたいと思い、
受験をすることになりました。

このときは公立とか私立の違いもよくわかっていなくて、
私立がお金がかかることもよくわかっていなかったと思います。

ちょうどそのタイミングでお母さんが働き始めました。

お母さんは、
「子育ても手がかからなくなってきたから仕事がしたいねん」
って言っていました。
それも本心かと思うけど、やっぱり僕の受験のためなのかなぁとずっと思っていて、それを僕に悟られないようにしていたお母さんには感謝しかありません。

お父さんはたしか反対していたらしいけど、
そのことも僕には直接言わずにお母さんと話し合っていたみたいで、
当時の僕には気付かれないようにしていたらしい。

たぶんそういう事情を僕が知ったら受験もしなかったと思って、
二人とも気遣ってくれてたんやなぁと思うと、
今でも胸が熱くです。

友達とは離れ離れになるけどいいの?って
お母さんから心配されたけど、
本気で会いたいと思えば会えるし一生の別れではないから大丈夫
って言っていた記憶があります。
今とあんまり変わらない考え方ですね(笑)

学校の勉強は宿題以外の勉強はしていなくても全然できていたけど、
自分から勉強をしたことがなかったのであんまりうまくは行っていなかったです。

そんな中でも楽しみは夜中にやっていたあいのりでした(笑)
自分の部屋というものが二十歳くらいまでなかったので
リビングで勉強していて、
リビングにはテレビがあるのでそれを両親と観るのが楽しかったです。
当時は冬のソナタも流行ったタイミングでそれも毎週楽しみにしていました(笑)

受験は成功して中学からは私立に通うことになりました。

公立ではなく私立に通うことは、
誰にも言わなかったです。

さみしい気持ちもあったのと、
そのことを聞かれたり噂が周るのが嫌やったんやと思います。

中学の入学式とかでは、
なんでおらんの?ってみんなざわついていたらしいとどこかから聞きました。
家に来てくれた友達もいました。

申し訳なかったなと、
ちゃんと伝えとけばよかったなと
後悔しています。


友達

僕は友達を作るのがすごく苦手でした。
今も変わらず苦手です。

小学校の頃はクラスからは嫌われることもなく、
人気者でもなく。可もなく不可もなく。
浅く広く仲が良く、分け隔てなく誰とでも仲がいいという感じでした。

班分けをするときも男子でいくつかに分かれるときも、
それぞれの班に仲良くしている人がひとりいて、
毎回どこかに入るという感じです。

あんまり印象に残ってないのかもしれないなぁという感じです。

5、6年の時はある程度決まった人と遊ぶことが多くなっていた気がします。

学校が終わって放課後に友達と遊ぶというのは、
周りに比べると、少なかった気もします。

思いっきりはしゃげるタイプではなかったし、
僕と遊んで楽しんでくれているのかなと不安になることがありました(笑)
遊びたいと思っても自分から誘うことはほとんどできなかった気がします。

どうでもいい話を最後まで読んでくださった方はありがとうございます。
思い出したらまた更新していきます。

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