見出し画像

日記5

この文章はミッドサマーを見た後にサイゼで牛スネ肉のラガーソースパスタを食ってる人間が書いたものですということを最初に提示しておきます。
ネタバレ!とかここがすごかった!考察!みたいな文章ではないです。「ミッドサマーと私」みたいな文章です。



ビョルンアンドレセンさんの少年期見た事あります?Twitterでバズったから見たことある人多いと思う。マーーーーーーーーーーーージで顔がいいよね。最高。好きな顔フォルダに大量にぶっこんであるため顔は以前から存じておりました。
壮年期でも人外的なお顔のままで、神様が自分の性癖のままに造った人間ですと言われたら納得する。
そんな美しい顔を…おま…おまえ…!割…………!!割るな……!!…………!!コラッ…………!
でも戻ったからいいのかなあ。いいかも。
監督が彼の顔の良さをどう思ってるかは知らないですが、綺麗な顔を割る脚本を書く心境ってどうなんですか?どうなんでしょうね…私推しの顔割りたくないな……美人が好きなので……

書きたいことだけ書いてくんですけど、彼氏とマヤちゃんの儀式のシーンでようやく感情の論理が解けたので面白かったです。
というか周りにいた女の人の一人が近付いてきて歌い出したからめっちゃ笑ってしまった。
声がデカい。よく萎えなかったなと普通に感心していた。

ミッドサマー、「同調すること」が基盤だったんだろうな〜と思いました。
思えば最初からわかりあいたい主旨の話をしていた。

彼女が彼氏の儀式を見て泣くシーン、周りの女の子たちがひたすら声をあげてたけど、赤ちゃんがギャン泣きしてるときうちの母も一緒に泣き真似してたわ〜と思いました。お母さんがギャン泣きすると赤ちゃんが「なぜ…?」ってなって泣き止むとかなんとか言ってたけど真偽のほどは知りません。

ラストの火葬の場面もそうだった。
食事も主役に同調して始まった。
同じ行動をしたり、同じ声をあげたり、復唱したり、同調することで感覚を共有した気になっていく。同じ生き物だと思わせていく。家族になっていく。理解しあいたかった彼女にとっては幸せだったんじゃないですか。知らんけど。
同調することを求めている人かどうかで映画の評価が変わるんじゃないかと思いました。
私はというと、人間は完全にわかり合う必要はない、他人と境界線を曖昧にする必要はないと思って生活しているのであんまりスカッとはしませんでした。

ああいうカルトな感じは好きでした。宗教観わかりやすいし。
ペレが幸せそうで良かったよな。
というかペレも元外部の人間なのか?

ところで周りの女の子たち、一緒に泣いてくれてたけど常識が違うからなんで悲しいかまでは共有できてないと思うけどね。でも女性は気持ちを共有できると安心する、とかは恋愛雑誌かなんかで読んだ。ふーん。
監督、どういった感じに失恋したんだろうな。普通に興味がある。

女の子がかわいいし、色が綺麗だし、音が綺麗(だけど人にスッキリさせない音楽を作るのがすげえ上手だと思いました。オクターブのうち1音抜くとか)だし、見てて楽しかったです。
感情の論理がしっかりしてたので見た後よくわからんくてもやっとすることはなかったです。そう意味ではすっきり。

ここから1段落は翌日の追記です。
監督がこの映画のどっち側だったのかめちゃめちゃに興味あります。同調されたい・する側だったのか同調を嫌う側だったのか。後者だとしたら共感が最高に気持ち悪く表現されてるのすごく理解できるんですよ。ロジックとして気持ちいい。だから気になります。
人間の感情に興味があってミッドサマー見に行ったんですけど、正直1番気になるのがそこになってしまいました。


ではあの…締めますね…。食べ終わったので……。
好きな顔フォルダとは別に推しの顔フォルダがあるんですけど、髪切ってからほんとに若返ったと思う。ここ数年の髪型ほんとにいい。もしかして神様が造りました?やっぱりな〜。推し、自分に似合うお洋服がわかっている。今日も最高。推しの顔だけは世界が終わるまで守りたい。いつまでも健康であれ。
でも普通におっさんしてる推しのことも推している。この私を以てしてもおっさんとしか評せないことはある。今日は推しが肌荒れと無縁になる祈りを捧げながら寝ます。グッナイ。


つつんぬ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?