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ワイン英語 ”Complexity” の対訳は「複雑さ」でよいのか?

 こんばんは、じんわりです。

 皆さんはワインを形容・紹介するテイスティングコメントの中に所謂「複雑さ」「複雑性」と言葉見つけたことはありませんか。特にワイン常習者の方はこの言葉を頻繁に見聞きするでしょうし、ご自身でお使いになることもおありではないでしょうか。

「複雑な」香りと味わいのワイン
「複雑性」を感じるワイン

 みたいな使われ方ですね。・・・で、「複雑」って何かね?という話です。この言葉にひっかかりを感じるのは私だけでしょうか。

 一般には「『複雑』な事情があって・・・」とか「『複雑』に絡まって解けない」というように宜しくない状況で使われることはあっても、好ましい事象に対しては使われない印象がありませんか?

 一方ワインにおいては主にお高めのワイン、熟成感のあるワインや総じて良質と感じられるワインに対してポジティブな意味合いで使用される傾向にあるのでははないでしょうか。
 どちらかというとやや陰なオーラを纏う「複雑」という単語がワインの陽な表現として使用されていること、またその定義が曖昧なことに違和感を感じるのですね。本稿は誰に頼まれた訳でもないのに「複雑」という語訳の妥当性を検証し、より妥当な表現用語を勝手に探していく、というワインを飲んで楽しむ上では非常にどうでもいい内容になっています。暇つぶしにどうぞ。

「複雑さ」というワイン用語の起源
 ワインは元々海外文化の産物であることから、「複雑な」というワイン形容詞や概念は日本発祥である可能性は考えにくく、イギリスやアメリカのようなワイン消費先進国から生み出された概念が英語表現として日本に持ち込まれたと考えるのが妥当でしょう。その前提で話を進めますね(「複雑な」というワイン用語のおこりや歴史をご存知の方、是非教えて下さい)。
 では、元々は何という英単語に「複雑さ」という訳がついたのか。Complexityですね。”The wine is complex”とか”Wine of exceptional complexity”などといった使われ方をしますが、これを素直に「複雑さ」と訳してもいいものでしょうか。

 インターネットの英和辞書で引くと、確かに「複雑さ」「複雑なもの」という対訳しか出てきません。
 一昔前の日本において、ワインに携わる誰かがComplexityというワイン形容詞を耳目にし、辞書を引いたら「複雑さ」と書いてあるのを見つけた。以降、その誰かはComplexityを「複雑さ」と表現した。それが広まって今に至る。ということかもしれません。

 念のため英英辞書でもcomplexityを引いて確認ですね。書かれていたことを意訳すると「複雑になっている状況」「理解または対処を難しくする何らかの詳細や特徴」という意味合いで、英英と和英の間に大きな違和感は感じられませんでした。一方、ワインのポジティブな形容との間にはギャップが感じられませんか?

 おおもとの英単語の和訳に誤りがないとすれば、ワインを形容するときに使用されるComplexityという言葉は一般的なcomplexityの用例とは異なる意味を持っていると考えるべきでしょうか。ワインスラングといいいますか・・・。であれば一般的な対訳である「複雑」とすることにますます違和感を感じます。

どのようなワインがComplex/Complexityと形容されるのか
 特定の決まった定義がない、と捉えるのが妥当でしょう。Complexの概念はワイン中の単一もしくは特定成分群に紐づけるもの(例:「チオール」という成分群を多く含むソービニヨン・ブランや甲州は「グレープフルーツのような」や「パッションフルーツのような」といった一般共通的な形容がされる)ではなさそうなので、一般共通的な定義付けが難しいのかもしれません。
 一般消費者のみならずプロの間でもめいめい異なる定義でcomplexという言葉が使われているように感じます。ワインとComplexityに関するweb、商業誌や論文の中からめぼしいものをある程度読み込んでいったところ、上述の通り高級ワインや、熟成したワイン、良質とされるワインの味香りに対して好ましい意味でぼんやり使われる傾向にあるようです。その輪郭をもう少しはっきりさせるなら以下のような言説があるでしょうか。

 ・味香りの構成要素が多く感じられる説
 ・味香りのバランスが取れてる説
 ・味香りの多様性のおかげでボトル最後の一滴まで驚きが感じられる説

   など・・・

 諸説ありますが、より客観的な情報を求めるために研究論文にも少しだけ焦点を当ててみましょう。引用するのはワインとComplexityという言葉についてParrらが行った代表的な2研究です。いくつかある結論の中から興味深い部分を抜粋します。

・ワインの味香りの質、強さ、バランス、余韻の長さがComplexityを想起させる要因であった
・Complexityは複数の要素から構成されるが、知覚としては単一のもの
・ワインのComplexityや全体的な品質をヒトが認識するプロセスは、パッションフルーツなどの特定の香りの強さを認識するプロセスとは異なるらしい
・Complexityの構成要素は評価者のワイン知識・経験値によって異なる


(勝手に)Complexityを日本語で定義する
 今まで収集した手掛かりと考察の範囲でComplexityとはワインのどういう状態であるのかを日本語で文章化してみましょう。そこから無駄をそぎ落として、「複雑さ」という対訳に代わる、もっとそれらしい単語表現を探してみようと思います。(誰得?な私的お遊びだと思って寛容にお読み流しくださいませ。)
 先述した一般的な状況かつワイン形容におけるComplexityという言葉の使用慣習から、「味香りの構成要素が多く感じられること」は必須条件であるように感じられます。では、それだけでComplexityの定義としても良いでしょうか?量的定義のみで質の検討は不要でしょうか?例えば味香りの構成要素が多くても、臭み、苦みや粗いタンニンなどが目立つワインであれば、それをもって(Positiveかつ)Complexだと評価できないように思います。
また、「口に含む度、ひと啜りする度に異なるポジティブなキャラクターが様々感じられる」こともComplexityの要因であるということをおっしゃる方が多いように感じます。

 とすると「多様な味香りの要素が心地よくまとまって完成され、口にする度に新たな発見があるワイン」というように量的、質的かつ時間軸的な要素を含んだ定義付にした方が良いように考えられます。
 実際、私が業界で駆け出しだった頃、お世話になっている大先輩にComplexityの捉え方について問うたところ、『Complexityの本当の解釈は「複雑=いろんなものが雑然とする」というものではなく「いろんなものが統合され完成された状態」とする方がより正しいだろう』という助言を頂いたことがありました。

(勝手に)「複雑」にかわる新しい日本語表現を考える
 ワインの表現用語というのは長々としたものより単語化できた方が良いように思います。一種の形容詞ですので。もちろん「多様な味香りの要素が心地よくまとまって完成され、口にする度に新たな発見があるワイン」の方がより詳細な形容ではあるのですが、ここから同義を維持しつつ字数を削ぎ落として単語化できないかを考えてみます。
 例えば「統合感」「完成度」「完成された」なども候補になるかと考えましたが、「多様な味香りの要素」や「時間軸」の想起力がやや弱いようにも感じます。
 しばらく考えた末、以下をComplexityのお手盛り対訳として考えました。

「多重奏」
「重奏感」

 科学的でなく情緒的な表現ではありますがオーケストラのイメージでしょうか。様々な種類の楽器と奏者がそれぞれの音を奏で、一連の音の繋がりを指揮者が統合し完成された音楽を具現化するプロセスは、ワインにおけるComplexityと符合するものがあるでしょうか。

今夜も「多重奏」で完成されたワインとともに新たな発見を。

さんて!

じんわり

参考:
https://www.winespectator.com/articles/the-trouble-with-complexity-in-wine-48055
https://academic.oup.com/chemse/article/43/7/451/5054137
https://www.winespectator.com/articles/how-to-really-taste-wine-47792
Parr, Unraveling the nature of perceived complexity in wine. Practical Winery & Vineyard, January 2015, 5-8.
https://wineanorak.com/2015/03/24/music-is-passion/


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