「やってからいえよ」は、違う

ち皆さん、こんにちは!

僕はお盆休み最後の日となってしまいました。

2週間ほど休みがありましたが、9割仕事でした(笑)

その分、だいぶ進行中のプロジェクトや打ち合わせ等が進んだので、大満足の長期休暇でした!皆さんも、ゆっくりできましたか?


先ほどふと、電車の中で、これまでの選択と行動を思い出していました。その中で、是非多くの人に知ってもらいたい真実があるので、記事にしようと思いました。


社会人になると、学生時代以上に、「選択と行動」に悩む機会が多くなります。仕事、転職、人事異動、引越し、留学、結婚など。


そんな時、あなた(当時の自分もそう)は多くの人生の先輩にアドバイスを求めたり、警告されたり、指摘されたり、揶揄されたりします。


その中でも、僕の中で一番頭に残っているセリフがあります。


「俺はなー、お前が、ホームレスになって、首吊って、死んでいる姿しか想像できねーよ、、、。」


これは、国家公務員であった時の上司(課長補佐)に個室で言われた一言でした。


ものすごく、愛のある言葉です。彼にとっては、僕はもう過去の人間で、記憶にすら残っていないかもしれません。が、僕にとって、○○補佐(今はさらに昇進したみたいです♪)は、第二の父親のような存在でした。


今だから言える本音ですが、当時は、いっぱいいっぱいで正常な考えはできませんでした。そして、少し反発的な態度をとってしまいました。


ホームレス?首吊り?そんなことにはなるはずがない。何のプランもアテもないのに、根拠のない自信がありました。ほんと、自惚れです。


そして実際、もう立て直しができない、、、。死んだほうが楽だ。


そう思った時期がありました。「あー、○○補佐の言っていたことは、こういうことだったのか。そういうことだったのか。。。ほんと、あの人はすごいな、、、全部見据えていたのか。」


最近では、“否定する人は自分が挑戦したことがないからだ!そんな人の言葉は聞く必要はない!”的な文言が多くのインフルエンサーや自己啓発本で目立つように感じます。


確かに僕も、「あなたはその領域に挑戦したことはないでしょ!俺の何がわかるんだ!」という中学生みたいなことを心の底で思っていた時期がありました。お恥ずかしながら。


けれど、決して彼らは、あなた(僕たち)を見下している訳でも、羨んでいる訳でも、みくびっている訳でもありません。


彼らが、彼らの生きた時代で、積み上げてきた、人生の経験や直感、他者の事例や選択の先の可能性等を踏まえた上で、ヒントを下さっているんですね。


それにも関わらず、無下にして関係を切り捨てていったり、その方を見下した態度を取ることは、間違っていると僕は思います。


人は新しい情報や景色、感性や感覚に触れると、飛躍的に自分が成長しているように感じますが、それは錯覚に過ぎません。その時点では、価値観が広がり始めているだけで、決して成長している訳ではありません。


そこで自惚れて、社会を全て知ったかのように傲慢になり、人柄も人相も変わっていってしまう人が、増えてきたように感じます。



仕事のひと段落がついたら、彼に連絡してまた会いたいな。

と思った一時でした。


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