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売るために、買うの?

煽っているわけではありません。家の中から「お宝発見!」そして高額の値がつくという番組ありますよね(ありましたよね?)。


あれ、昔好きで、よく観てました。骨董品とかそういうの、驚く値がつくのが面白くて。当時は、興奮しつつ見てた記憶があります。


あのときは「将来、そういうモノ持ちたい」と思ってました。恥ずかしながら、そうでした(汗)まぁ、若気の至りということで。許してください(誰に?)


戯言は置いておいて。


「将来、高く売りたいから」という理由で買うこともあるでしょう。これは価値が出そうだから。いつか売ればお金になるから。そういう風にして購入しようとしたモノありますか?


つまり「いつか売るために、買う」モノ、持ってるでしょうか?一昔前のわたしなら「そういうモノを持ちたい」と思っていました。


でもですね。


今はそういうマインドから足を洗い、今必要ないモノは持たないようにしてます。たとえ「お宝」がゲットできなくても。後悔はしない。


「後々価値が出るはずだから、買っておく」と言って買ったモノ。それが本当に価値あるモノになるかどうか、どうやって予想できますか。素人のわたしに、そんなこと予想できるわけもありません。世の中にゴマンとあるモノから、わたしが選び出せるとは到底思えない。


しかも「この世に一つとないモノ」を持っているわけでもない。いわゆる「大衆のモノ」を持っているだけ。誰もが持っているモノを持っているだけ。それじゃぁ、希少価値なんてないですよね。


それを探すことにロマンはあるかもしれない。だけど、夢を追うのはなかなか難しい。財力と、気力と、時間が必要です。晩年になってから、お金を手にして何になるんだろう?そう考えると、「お宝」を残しておくコトに意味が見出せません。


今、「お宝」と書きました。


家の中で「お宝」を見つけるためには、コツがあります。一旦、家の中で、その存在を忘れる必要があります。



そうなんです。


もし家の中のモノを「お宝」認定するなら、それを忘れてなきゃいけない。忘れたモノを後から「取り戻す」から、希少価値が生まれる。それが「お宝」になるわけです。


お宝探しを家でやるのは、楽しいこともあるでしょう。わたしも「家の中にお宝が眠っている」と聞かされたら、必死に探すかもしれません。


でもですね。


「一旦、モノを忘れる」ということは、存在を忘れつつ置いておくこと。これって、目が行き届かない。管理ができてないコトにつながります。モノが少ない生活を送る上で、意識の外にあるモノは手放す必要があるのに。


その存在を黙認するコトになる。つまり「モノが多くなる」「モノが溢れていく」ことにつながります。


ミニマリストに「お宝」は必要ないです。


これはわたしの意見。ほんとうの「お宝」は毎日共に過ごしてきたモノであってほしい。どこかにしまってた「お宝」にその座を奪ってほしくない。そう思って。


だから「売るため」に買うのではなく。今を精一杯生きるのに「最高のモノ」と共存したい。


「モノに妥協せずとことん拘る」のはそのせいかも。もちろん失敗した時は「さっさと手放す」。これ、鉄則です。


それでは、また。

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