子どもと雨、雨と相合傘

子どもと雨、と聞くと一様に想像する姿があるんじゃないかなと思う。

フードがついてる黄色いカッパ、黄色い小さな長靴。赤だか青だか、とにかく原色の、持ち手がふっとくて信じられないくらい短い傘。大人が持ったら腰を90度に曲げないと地面にとんとんできない傘。雨降り3種の神器。

足元にはバケツの水をそのままぶちまけたかのような、大きな水たまり。今まさに長靴を履いた小さな足がそれを踏もうとしている。

バッシャーン! 水しぶきが飛ぶ。きらきら光る。そして聞こえるこどもの甲高い笑い声。


どう? 想像できた?

雨がこんなにも眩しく想像できるのは、子どもの特権だと思う。できれば、私の子どもにもこんなふうに雨を楽しんでほしい。黄色いカッパを着せたい。


私も、こんなふうに想像される子どもだったのだろうか。雨と私。お母さんは私にカッパを着せてくれていた気がする。一時期、長靴が好きすぎて毎日のように履いていた。そういう時期が、実はみんな1回はくるんじゃないかと思う。

私は雨を楽しんでいたはずなのにな。大人になってみて改めて思う。今はもう、雨ときくと煩わしさが勝ってしまう。


保育園生のころは、新しい傘を買ったら雨が降るのをいまかいまかと待ち望んでいた。それこそ窓辺に両腕を敷いて、そこに頭をもたげていたりした。頭上には頭を逆さにしたてるてる坊主。「雨、降らないかなあ~」なんて可愛らしく呟いたりしていた。とにかく雨が降ってほしかった。クマのキャラクターの新しい傘は、雨が降らないと使えないのがもどかしかった。


ところが小学校にあがってからだんだんと「雨よ! 降るな!」と思う日と、「雨よ! 降れ!」という日が出始めた。

「雨よ! 降るな!」の日は、イベントがある日。義務教育で与えられた1年間の中には、屋外でするいろんなイベントがある。遠足、運動会、体育祭、修学旅行、部活動の試合。1年間でたった1度。その年度でしかできないイベントが義務教育には多すぎる。1週間前から天気予報を積極的に見始めて、よしよしこのままいけよ、と唱える。

逆に「雨よ! 降れ!」の日は、めんどうなタイプのイベントのときだ。競歩大会、学内マラソン。さらには夏のテストのときには「台風! こい!」とすら願う。義務教育は、仕方がないけれど子どもたちに運動をさせたがる。ただ、そういう想いも虚しく、私は運動しなければならないイベントの前日は、家で雨ごいをやったりしていた。「明日晴れだってよー」と天気予報を見ていたお母さんがのんきに言う。台風、きてくれ。

そして社会人になってから、雨の日は憂鬱とニアリーイコールになってきた。雨が降っているだけで洗濯物は干せないし、湿気で髪の毛がうねるし、傘は電車に置き忘れるし。気づくと、家の玄関にはビニール傘が2、3本ある。家を出たときには雨が降っていなかったけど、帰り道で降られて仕方なく買った傘。1本700円。3本で2,100円。2,100円が玄関にたてかけられている……ちょっと虚しい。

今日もまた台風が近づいているらしい。「台風! こい!」と願ったとしても今はリモートワークができてしまうので、何かがなくなることはない。仕事はある。雨は降る。

まあでもそんな雨も、相合傘ができた日には好きになれそうな気がしているし、雨が降らないと相合傘はできないから、やっぱり定期的に雨があってもいいかな、なんて思ったりしている。

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