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鉄(くろがね)

秋の風鈴

上の風鈴はもう錆びちゃって⋯だけど(くろがね)だから高級品です。(笑) この風鈴を見ていて思いだすのが飯田蛇笏の俳句「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」です。この句はどんな意味があるのだろうか?それでネット検索。高い評価が幾つも見つかりました。有名な先生方が一様に秋の風鈴はじつに風情がいいって感じで称賛なさっていらっしゃいます。

独学(の私)と有名な先生方とではその価値が比べものにならないと思いますが、あなたもそう思われるのではないでしょうか?風鈴を秋にぶら下げて鳴らしている感覚が素晴らしいみたいです。飯田蛇笏はさすがに鋭い感性の持ち主に違いないと、そこまでは私にも十分に理解・納得できていたのですが、有名な先生方の感覚までは私のレベルで理解できませんでした。

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素人の私は鈴(すず)でなくて鈴(りん)を想像したのです。「秋に風鈴はアカンやろう」と素人判断しました。それならこそ、蛇笏は鈴(りん)を詠んだに違いないと思ったのです。あなたなら鈴(すず)が好いと思いますか?鈴(りん)が好いと思いますか?俳句は読み手の好きに読んで構わない文学ですから、こうでなければならないという決まりはないことになっています。

飯田蛇笏は「冬山に僧も狩られし博奕かな」という句を詠んでいます。博打をしていた村人のなかに僧もいて一緒に逮捕されたというニュースを題材に詠んだ句のようです。こんなふうに僧を詠むなどと蛇笏は不届き千万なヤツと受取る人はいるだろうし、ケシカラン僧だと受取る人もいるだろうし、僧侶を逮捕するとは警察は腐ってると受取る人もいるだろうな。

それにしても飯田蛇笏は事実を感じるままに詠んだ俳人に違いない。

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