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自由に詠んでいい

尾崎放哉

放哉(ほうさい)の句青空文庫からお借りしております

放哉を読んで種田山頭火のと同じことに感じた。すなわち、自由律は短詩であれば俳句と云う枠に閉じこめておきたくない。俳句には約束ごとがあり、俳句の約束ごとを無視できるのはに認められた自由です。俳句は詩に分類分けされるが・詩は俳句の部分でありません。(´ー`)

さて、中学時代に作句を始めたころの放哉の句「きれ凧の糸かかりけり梅の枝」は写生句にちがいない。だがすぐに短詩・一行詩へ切替えたようです。

・酒のまぬ身は葛水(くずみず)のつめたさよ
・木犀(もくせい)に人を思ひて徘徊(はいかい)す
・護岸荒るる波に乏しくなりし花
・妻が留守の障子ぽっとり暮れたり
・小供等たくさん連れて海渡る女よ
・つくづく淋しい我が影よ動かして見る
・友を送りて雨風に追はれてもどる
・人をそしる心をすて豆の皮むく
・柘榴(ざくろ)が口あけたたはけた恋だ
・昼寝起きればつかれた物のかげばかり
・蛇が殺されて居る炎天をまたいで通る
・むつつり木槿(むくげ)が咲く夕ベ他人の家にもどる
・足音一つ来る小供の足音
・うつろの心に眼が二つあいてゐる
・旧暦の節句の鯉がをどつて居る
・足のうら洗へば白くなる
・咳をしても一人

放哉の詩は私には「叙(抒)情詩・叙景詩・叙事詩」のどれとも決められないが、これは短詩にそなわる定めのようにも思う。

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