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「意志があれば行動を変えられる」というマッチョ言葉の罠

意識が変われば、思考が変わる
思考が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、結果が変わる

名言といわれてますね。松井秀喜選手の星陵高校時代の恩師山下監督がベンチに掲げていた言葉だそうです。元は、心理学者ウィリアム・ジェームズの言葉であるとかヒンズー教の教えであるとか言われています。

ちなみに、ヒンズー教的にはこうです。

心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。

まあ、この言葉にいちゃもんを付けるわけではないのですが(付けてますがw)これって「因果関係の推論」に基づくものであって、言ってしまえば何の根拠もないわけです。

逆から言うと、人生を変えるためには人格を変えなきゃいけないんですか?って話だし、行動を変えるためには意識を変えなきゃいけないんですか?って話になります。

まあ、そりゃそうでしょう、と大体の人は納得するかもしれませんが、本当にそうか?

「因果関係の推論」というのは人間が都合よく生きていくために編み出した思考回路だと思うんです。要は、何かが起きた結果に対して、人間はその原因が必ずどこかにあるはずだ、と考えて納得しないと気持ち悪い生き物なのです。

でも、それって、実は結果から原因を遡っているだけであって、本当にその原因が本当の原因かどうかは問題ではない。納得したいがために原因を後から理屈付けているだけなんですよ。

よくやりがちなのが、相関と因果の混同です。相関性が高いからといって必ずしもそれは因果とはならない。にも関わらず、人間は相関があると因果であると思い込みたい。つまり原因追求ではなく、願望なんです。

前述した名言に難癖つけたいのはこの部分→「意識が変われば行動が変わる」

これって、行動するには必ず意識があるという前提です。

何を当たり前のことを言っているんだ、と思いますか?

行動する前に意識、というより意志があるはずだ。意志があってはじめて行動を起こすものだ、と本当に思いますか?

言い方を変えると「意志さえあれば行動は変えられる」し、「意志がなければ行動はうまれない」と本当に思っていますか?

自分の意志でなんでも変えられるという思想は間違いです。もちろん、そういう強固な意志を持つ人もいるでしょう。でも普通の人はそうはいきません。意志があれば変えられるなら、さまざまな依存症なんてものは存在しない。

反対に、意志なき行動はいくらでもあります。みなさん、すべての行動を自分の意志で自分の選択でやっていると思ったら大間違いです。むしろ人間は…というよりあらゆる生物は行動の方が先にあった。

じゃなければ説明がつかない事例がたくさんある。思考や選択や意志がなければ一切の行動が起こせないのだとしたら、脳のない生物の行動をどう説明つけるのでしょう。たとえ脳があったとしても、昆虫や動物の行動が思考や意志に基づいているものなんて誰も証明できない。

人間は高度な脳を持つから人間だけは別だ。そうでしょうか。思考や意志をつかさどる脳があるから、思考と意志によって行動がうまれるというのは、やはりとって付けた後付の理屈にしか思えない。

むしろ、行動の正当化のために、先に思考や意志があってそれに基づいて行動したのだと言いたいだけ。そう考える方が腑に落ちる。もちろんすべての行動が意志なき行動であるというつもりはないです。意志のある行動も当然あるでしょう。

でもだからといって、意志こそすべて。「意志があればなんでもできる」なんて理屈は乱暴です。

たとえば好き嫌い。誰もがピーマンが食べられないとかあるでしょう。そういう僕自身もどうしてもドジョウだけは無理です。そういった好き嫌いも意志によって変えられるのでしょうか。そもそも、好き嫌いを無くすという行動は本人にとって何のメリットがあるのでしょう。本人が意志をもってピーマンを食べる意志を生み出す理由なんてどこにもありませんよね。ピーマン嫌いを克服した人がいたとしたら、それは本人の意思ではなく、親だったりとか周りの環境の影響です。意志なんかじゃない。

人間は、周りの環境や人のお膳立てによって自分が変わったことを、さも自分の意志によって克服したと思いたいだけなのです。

ついでに言うと「嫌い」は意志によって作られますが、意志によって「好き」という感情は作れません。

なんでこれが(あの人が)嫌いなの?という質問に対して、人は饒舌です。だってそれには行動しない(好きにならない)ための正当な理由が自分の中に必要だから、理論武装したいから用意されているわけです。

でもなんでこれが好きなの?あの人を好きになったの?について、たとえ表面上理由を述べられても、実は自分自身納得いかないまましゃべってることが多いんじゃないでしょうか。

そんなロジカルなものじゃないからです。好きという感情や心地いいという感情は。

だから人は、自分が好きなものとか共感しているけど、うまく言語化できないことを、上手に言葉にしてくれたり、「あなたの考えはこうだよね」とまとめてくれる人がいると、その人を瞬間的に信用してしまいます。「そうそう、私の言いたかったことはそれなの!」っていう感情は、その瞬間一切の論理的思考を取っ払ってしまう力があります。新興宗教の教祖とか、一流の詐欺師がよく使う手です。

だから教祖とか詐欺師ほど「意志があればなんでも変えられる」という言葉を使いがちです。だってそれは、意志によって行動が起きないことを熟知していて、本当はこちらが用意したお膳立てに従って行動しているだけなのをさも本人が選択したかのように錯誤させたいからです。最終的には、本人が選んだ道だからということで逃げ道を封鎖できます。

意味なく選択肢を提示してくる人間も危ない。人間は不思議なもので、選択肢を提示されるとどっちかを選ばないといけないと自己暗示をかけてしまいます。本当は第三の道があるはずなのに、それが見えなくなってしまうのです。選択肢を提示する人間はそれをわかって、どっちかを選ばせるために、むしろ選択肢の幅をなくすために選択肢を提示するのです。

「意志によって行動が変えられる」なんて一部のすごい人だけです。大抵の人は、環境によって変えられた行動を正当化するために後付けの理屈を意志という形で置き換えているに過ぎない。

もっというなら、人間は大抵受動性の生き物です。能動的に自らの意志で行動できる力はないし、むしろそういう人間は環境に適応できずに死んでいった人達です。寒かったら暖かくするし、危険があったら避ける。そうしてきた人間だけが生き残ってきたわけですから。

人生を変えるために、無理に意識や思考や価値観を変えようなんてしなくていい。結局意志なんてものは行動の後付けの安心でしかない。あなたの意志や意識を形作るのは、あなた自身の中にあるのではなく、あなたの周りの環境であり、付き合う人間関係によって生まれるのです。

だから、ストレスのたまる環境や人間関係の中に身を置き続けることは害悪以外の何物でもない。意識なんて無理して変えなくていい。環境を変えれば、人間関係を変えれば、行動が先に変わる。そうすれば意識も変わっているかもしれない。

何もリアルな学校や職場を変えるだけが環境を変えることではない。新たな友人を作ることも必ずしも必要ではない。感情を共有するコミュニティ、知識のコミュニティなど新たな関係性を付け足すだけで大きく変わる。

環境や人間関係やコミュニティとは、自らが作り出すあなた自身の選択肢です。他人から提示された選択肢をただ選ぶだけの人生とは、他人から押し付けられた意志の正当化に過ぎない。意志を作りたいのなら、まずそうした環境を整えて、自分自身で自分の選択肢を作りましょう。そして、それは意志や思考では作れない。行動することでしか生まれないと思います。

※思いつきの一筆書きです。後で修正するかもしれません。

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