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未来のコミュニティのヒントはスナックにあり!

いつもおもしろいことを仕掛けるキングコング西野さんが、ついにスナックをオープンすることになったようです。

スナック「キャンディ」

彼がスナックを作ることに対しての思いは以下に語られています。引用掲出させていただきます。

まもなく迎える《ロボットが台頭する時代》において、人間に残された才能は『完璧さ』ではなく『愛される欠陥』だと僕は考えています。
ロボットが逆立ちしても代替えすることができない「しょーがねーなぁ(笑)」という部分です。「しょーがねーなぁ(笑)」は、いつもコミュニケーションから生まれます。なので、僕はコミュニケーションに未来を見ています。もはや『商品』や『サービスの質』ではなく、コミュニケーションを求めて皆が集まってくる、そんな待ち合わせ場所になればいいと思って、スナック『キャンディ』を作ることにしました。

SHOWROOMの前田裕二さんが共同オーナーとなるようです。単にリアルな場としての店を作るというより、オンラインでの配信でもつながれる「新しい待ち合わせ場所」であり「交流の場」です。


これは、今後のコミュニティを考える上で正しい方向性で、拙著「超ソロ社会」にも書いた家族・職場・地域に変わる未来のコミュニティのヒントが隠されているんです。


そんなスナックについて語ります。

語れますw

なぜなら、はるか何十年前上京して最初のバイトがスナックでした。しかも、西武新宿線の急行がとまらない小さな駅の商店街のはずれにある小さなスナックで。

スナックって何?って方もいるかもしれませんが、スナックとは、1964年の東京オリンピック開催に際しての法規制によって生まれた、日本独自の業態なんです。スナックにはママがいますが、キャバクラや銀座のクラブのような風俗営業店ではありません。スナックの多くは「深夜酒類飲食店営業」です。だから、本当はスナックは客の隣にホステスが座って接客することはできません。ガールズバーと同じですね。

ですが、その辺はいい加減で、僕がバイトしていたスナックもカウンタ―だけじゃなくテーブル席があって、ママは堂々と客の横に座って飲んでました。

まあ、それはそれとして、ママの他にホステスが3人くらいいて、ママの旦那さんがマスターやっていました。そこに僕は、もろもろの下働きのバイトとして入ったわけです。

ローカルエリアのスナックだから来るのは近所の常連さんばかり。でも、バイトしてておもしろかったのはこの常連さんを観察できたこと。

スナックというのは、実は酒を飲んだり、カラオケしたりしますが、それが目的の場所じゃないんです。ママと会話するためとか、ママのファンだからというのもイマイチ違うんですよね。まあ、当然ファンじゃなければ来ないけど。

実は、スナックが皆婚時代になぜ栄えたのかという視点でみると面白いものがあります。

スナックとキャバクラ・クラブ・ガールズバー等の風俗営業店との大きな違いとは、何でしょう?

それは愛情の方向性の違いです。後者には性愛が含まれます。おっさんがキャバクラに行くのは下心があるからに決まってますから。ですが、前者には家族愛的なものです。もちろんママにそういう欲望をもって通うお客もいたでしょうけど、それだと長続きしないんです。そんな浅い関係性ではない。

スナックとは常連にとって「もうひとつの家」であり、ママは文字通り「もうひとりの母親」だった。そして、他のスタッフも訪れる他の常連の客たちも血のつながらない「家族」同様。

スナックとはまさに拡張家族の場だったんです。

常連のお客さんが店に入ってくる時って大抵「ママ!ちょっと聞いてよ」と言って席に座るし、釣りでなんか釣り上げた客も「ママ!みてよ」と言ってくる。ママより年上の爺さんなのに、ホントに子どものようでした。

キャストも客も皆家族。バイトの僕が一番下の末っ子扱い。

多分お客自身にそういう意識はなかったと思いますけど、スナックを訪れる常連は、スナックを本当の家族とは別の「頼れる依存先のひとつ」として機能させていたと思うんです。

家にいれば父親としての役割、夫としての役割を果たさなければいけない。職場にいても上司としての役割とかいろいろある。役割を果たす際にはそれ以外の自分は出せなくなるし、出してはいけないと自制してしまうのが男。

でもそれじゃストレスたまる。だからこそ、そんな自分の中の多様な選択肢のひとつとしてスナックは「もうひとつの家」として機能していたんです。

ソロ社会、独身者が5割の社会に求められるのは、こうしたスナック的機能をもつコミュニティが必要です。ソロの場合、自宅では「ぼっち」なわけです。一人の時間を大事にするのもいいですが、人とのつながりも大事。

「ぼっち」が一人でふらっといけて、行った先でつながれる、安心できる場所。そんな場所が必要なんです。

突拍子もないようなことを言うようですが、僕は、日本の未来の都市部のソロ生活者たちの家というのは寝室と浴室・トイレしかいらない。極端にいうとカプセルホテルみたいな部屋でいい。そのかわり、リビングやダイニングは、家の外が担ってくれるイメージです。

居住のための建物が、寝室以外すべて無くなるということではなく、むしろ逆で、家の機能を閉じずにオープンに共有する考え方です。

家の中での行動で一番大事なのは睡眠だと思うんです。だから夜だけは自分の部屋で寝て、他のことはどんどん外部化していく。ソーシャルリビング、ソーシャルダイニングですよ。

スナックはまさにそんな共有のリビングであり、共有のダイニングスペースなんです。


別に酒を出すスペースである必要もなくて、子どもが安心してリビング時間を過ごせるものがあってもいい。それをお客さんである他の人が面倒みれたりする。

コレクティブハウス的な「一緒に住む」という縛りではなく、気の向いた時間に来て各々が自分の安らぎのために来て、誰かの世話をしたり、世話をされたりする空間といえばいいんでしょうか。

スナックってそんな空間のような気がしています。

そして、スナックで一番大事なのがママの存在。性別が女性である必要はないのですが、母性は必要です。やたら気を回して、やいのやいのうるさいくせに、肝心なところが抜けていたりする。いつも一緒だとうざいけど、たまに会いたくなる存在。約束とか覚えてないくせに、人の記念日をきちっと覚えていたりする。

そんな笑って許せる欠点と泣けるやさしさのあるママがいないとスナックは成り立たない。

西野さんのとこのスナック「キャンディ」はホームレス小谷夫妻がママをやるそうです。

笑って許せる欠点と泣けるやさしさ…どんぴしゃですね。

小谷さんをご存知の方はこう不安がるでしょう。

ちゃんと店を運営できるのか?

いいんです。お客がその役割を担えばいいんです。僕がバイトしていた店もママは飲んだくれて、笑ったり泣いたりしてました。ママとはそういうものです。

さして、たとえママが不在でも代わりがいる。特定の誰かがママというより、ママの機能を臨機応変に誰かが果たす。そんなアメーバ的な場と交流がこれからのスナック的コミュニティになっていくと思っています。

五反田のスナック「キャンディ」…相当楽しみです。



そういえば、今年の3月に僕は新宿で1日限定の「スナックぼっち」をやったんです。

ぼっちがぼっちのまま来て、そこでぼっちじゃなくなって帰っていく。そんなスナックを僕もまたやりたいです。







長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。