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コルク佐渡島さんとの対談で新たに生まれた新しい自分

CS放送で僕がMCをしている番組「超ソロ社会・ニッポンの未来」。半年間やってきましたが、今回が最後の収録でした。感慨深い…。

最終回にふさわしいゲストにご出演頂きました。コルクの佐渡島庸平さんです。マンガ『バカボンド』『働きマン』『インベスターZ』『宇宙兄弟』『ドラゴン桜2』など数々のヒット作を手掛ける編集者です。

なんか、僕、身体曲がってんなwww 整体行かないと…。


まあ、それはさておき。

佐渡島さんと言えば、コミュニティのお話。じっくりいろいろお話したいことは山ほどあったんですが、やはり1時間では時間が足りませんでした。しかし、今後の社会における「コミュニティ」や「自分との向き合い方」について示唆に富むお話がたくさんありました。

この模様は、11月最初の木曜夜21時にCS放送「BBT.ch」にて放送予定です。その次の月曜23時にも再放送されます(もしかしたら変更あるかもしれません)ので、お時間ある方はぜひ! 


ところで、今日の対談では、佐渡島さんが最近キャップをかぶっている理由がとても興味深くて、佐渡島さんのキャップの使い方はまさにこれからの非言語コミュニケーションのカタチだし、ある意味では、キャップが「人と人をつなげる」シナプスのような役割を果たすものに変わり得ると感じた。そうすると、キャップというひとつの物体でさえ「コミュニティ」にもなりえるんだなあ、と思ったんですよね。

コミュニティというと、場所とかととらえがちですけど、わかる人が見たらわかるキャップをかぶっていると、「あ、それ! 」って見知らぬ誰かと誰かが会話をするきっかけになるかもしれないし、ネットでのつながりのきっかけになるかもしれない。

人と人をつなげるのは場だけじゃなくて、キャップというモノもその機能を果たすことができる。もちろん、キャップというモノには所属することはできないけど、キャップを通してつながることはできるわけで、それこそ接続するコミュニティのひとつのカタチなのかもしれないな、と思ったわけです。


よくよく考えたら、場だけが人と人をつなげるわけじゃないんですよね。

思えば、僕と佐渡島さんとは、実は2016年3月にはじめてお会いしているんですが、そのきっかけは本でした。平野啓一郎さんの"私とは何か 「個人」から「分人」へ"という本を僕が読んで、ここにあった「分人」という考え方と言葉に感銘を受けまして、「なんかおもしろいことができないかなあ」とあまり考えずに、即コルクを訪ねまして、そこでお会いしていろいろお話させていただいたのが佐渡島さんとの出会いだったんです。

その時は結局アウトプットには至らなかったんですが、その後、その「分人」という考え方を参考にして、2017年1月発売の拙著「超ソロ社会」の第6章は生まれたわけです。「自分の中の多様性を育てる」ことが、ソロ化する社会における孤立からの処方箋であると書きました。

いわば、平野さんの本というモノによって、僕は佐渡島さんとつながったわけなんです。


さらに、言うと、その2か月後の5月には、キングコング西野さんの絵本"オルゴールワールド"を読んで感動し(これ、あまり話題にならないけど、ほんといいお話です)、彼の独演会チケットを本人が手売りしていたので購入した縁で、ニコ生に出演させてもらったんです。最初の本「結婚しない男たち」を題材にしたソロ男トークをさせてもらいました。その模様はこちらで確認できます。

ありがたいことに、西野さんとは、その後彼のおとぎ町やクラファンにも参加させてもらったり、単に飲んだりとお付き合いさせていただいています。そんな西野さんと佐渡島さんも(後から知りましたが)つながっていたんですよね。


さらにさらに、人の縁とはおもしろいもので、その後、歴史オタクでもある僕は、角田陽一郎さんの"「24のキーワード」でまるわかり!最速で身につく世界史"を読んで、角田さんともつながりができました。彼には2017年1月の「超ソロ社会」の発売記念のトークイベントの対談相手としてご出演いただいています。

そして、佐渡島さんと西野さんと角田さんは2017年8月に、3人一緒にプロジェクトやられていたりしています。

佐渡島さんから西野さんを紹介してもらったわけでもなく、西野さんから角田さんを紹介してもらったわけではないのですが、同時期に起きた奇妙なつながりに、我ながら驚きます。

そして、奇しくも3人とも「本」というモノがそのきっかけをくれたわけです。本というコミュニティ(シナプス)がなかったら、多分この3人とはつながれていないし、そうすると、3人とつながったことで生まれた「僕の中の僕」も生まれてこなかったと思うんですよね。

その波及って実は凄まじいと思っていて、「僕の中の僕」が生まれたからこそさらに「新しいつながりの芽」も生まれたはずで、これこそが接続するコミュニティの醍醐味であり、彼らによって僕のインサイドコミュニティ(自分の中の多様性)は育まれたと思います。

インサイドコミュニティのお話はこっちに詳しく書きました。

コミュニティというとどうしても「所属」という概念から離れられない人が多いのですが、「接続」だけでも立派なコミュニティのひとつになりえるし、大事なのは、自分の外側に知り合いや友達を作るというアウトサイドコミュニティの充実化ではなく、それによってどう自分の内面に、多種多様な人たちとのつながりで生まれた「やおよろず(八百万人)の自分」を充満させていくかってことだと思うんですよね。

今日の収録では、佐渡島さんのご著書"WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. "についても少しお話させていただきましたが、引用させていただくとこの言葉は、「我々は孤独だが一人ではない」とも言えるし「我々は一人だが、孤独ではない」とも言えます。

「孤独は死に至る病」とか言って、孤独というものを諸悪の根源にしたいおじさんおばさんがいるんですが、決してそんなことはないんです。一人であるという物理的状態=孤独と考えてはいけない。一人であることよりも、大勢の集団の中にいながら、心が孤立してしまう方がよっぽど辛いはず。

逆説的ですが、一人であることを楽しめる人というのは、イコール人とつながることのできる人でもあるんです。一人であることを極度に恐れる人は、表面上多くの人に囲まれていても、誰ともつながれていないから心が孤立感を感じてしまうのではないでしょうか?


そのためにもシナプス型コミュニティは大切です。本でもキャップでもツイッターのつぶやきでもシナプスになりえる。それは、誰かとつながるための回路というより、自分自身を充実させる扉です。それこそが接続するコミュニティへだし、突き詰めると、インサイドコミュニティという自分の中の宇宙開発とも言える。

長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。