見出し画像

居場所とか、確固たる自分とか、見方を変えればそれは「不自由な牢獄」です

何をどうしようと少子化は進むし、今後は先進国からどんどん多死社会になるし、人口が自然減になるのだから当然人口減少は免れない。

ほんの20年先の日本は独身者が人口の5割を占め、高齢者より独身者の方が多い「超ソロ国家」になります。これをSFだと思っている人が意外に多いのですが、確実にやってくる未来です。同時に、起きるのは、今までの共同体(コミュニティ)の有り方が根底から変わるということです。

群から個へ。個人化する社会は不可避です。

書籍でも記事でもインタビューでも、僕がずっと提唱している「所属するコミュニティから接続するコミュニティへ」という考え方について、改めてわかりやすくまとめてみました。ぜひご一読下さい。

マイナビウーマンの連載ですが、女性だけではなく、コロナ禍の大学の新入生なんか、まさにこの「どこにも所属していない不安」をずっと抱えていたことと思います。さらに、今まで「所属するコミュニティ」の城壁に守れていた男女問わず多くの働く人達もそうでしょう。

居場所ってそんなに重要ですか?

安心な居場所とは、見方を変えれば、「動物園の不自由な檻の中」と一緒です。それでも今までは、国家なり、社会なり、共同体はなのが、飼育員として安心を提供してくれました。でももう飼育員さんたちはいないのです。檻は開放されたのに、いつまでびくびく檻の中で永遠に来ない飼育員さんからの餌を待つつもりでしょうか?

確固たるアイデンティティって役に立ちますか?

「所属するコミュニティ」の中では、そこでの明確な個人の役割を果たすことが求められてきました。父親の役割、母親の役割、夫の役割、妻の役割、子の役割、上司の役割、部下の役割、男の役割、女の役割…。

もうそんなのに執着していると死にますよ。たとえるなら、今は極端に季節変動が入れかわる時代です。40度を超える灼熱の真夏と氷点下で大雪の降る冬が交互にやってきます。冬が来るのに、いつまでも半袖のTシャツですごしていたら死にますよね。それと同じです。

「岩の社会」から「水の社会」へ。

「水の社会=接続するコミュニティ」は現代の「ノアの方舟」だと思います。適応できない者は絶滅するでしょう。

「動かざること山の如し」なんていう風林火山の時代は終わり。インターネットができた瞬間から、こうなることは予測できていました。そして、それし取り立てて絶望するような未来ではありません。

日本酒でも飲みながわお読みください。記事の中でも触れていますが、「上善水如」はもともと老子の言葉です。

画像1


長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。