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語彙力が死ぬオタクが読むべき本:好きなものを「推す」だけ

「推しが尊いいいいいいいいいいいいいい」
「語彙力うう死ぬなああああああああああ」

というのがオタクの日常だ。残念ながら。
ゲーム、音楽、漫画、映画、etc…。日々、素晴らしい作品に触れその感動を誰かに伝えたくても語彙力が追いつかない。Twitterで叫び、呻めき、嗚咽を漏らしている。それもまた楽しいことではあるが、いざ誰かに作品を推薦するときにまで断末魔の如く訴えてもかえって「こわ…近寄らんとこ…」とビビらせてしまう。そんな経験はないだろうか。

今回紹介する「好きなものを『推す』だけ」という本はそんな死にゆく語彙力を蘇生させるハウツーであり、「推す」という概念の楽しさを伝える本である。筆者のJini氏はかなりツッコんだ批評がウリの「ゲーマー日日新聞」のブロガーだが、これを読む上ではゲーム好きかどうかに関わらず読める本だ。

そもそもなぜ語彙力は死んでしまうのか。

いや「語彙力が死んでいる」というのは断末魔ではなく「語彙力の産声」をあげているのではないかと思う。

本書でも取り上げられているが、あらゆる人がスマホを持ち、SNSを活用して立場に関わらず多様な話題をやり取りするようになった。
Twitterのサービス開始が2006年、iphone3Gの発売が2008年。
およそ15年もない間でだれもが気軽に、それでいてバズるチャンスを得た。
ユーザーが爆発的に増えた現代ではそれに比較にならないほどSNSの1ポストは発信力が強くなっている。
その強さとチャンスをモノにしたいがイマイチ持て余しているのが「語彙力の死」の正体ではないだろうか。

だれもが「推している」のに上手な推し方を誰も教えてくれない。

赤子がお腹から出てきて「ヤバ!酸素を自分で吸わなきゃ!」という自覚が産声になるように、推したいが意外と難しいという、このもどかしさはやはり「語彙力の産声」と呼ぶべきだろう。
(作品が難解すぎるみたいな場合は別として)


本書では「推し」とは何か、アイドルのスラングから始まったぼんやりとしたを整理したうえで具体的な推し文章の添削をしながら簡単かつ効果の高い技法を紹介している。

とくに「推し文章」というのは情熱や解釈などの主観がテーマとなるため、ビジネス文書やプレゼン技法とはまた違った伝え方が必要なため、そのギャップを埋めているのは大変ありがたい。

この記事の冒頭からある「断末魔と産声」も本書にある「比喩推し」を活用している。他にも推す相手がオタクか初心者かなどの応じた理解度に合わせた手法などネットや会話まで使える技術を手広く押さえている。

同時にこうした推しの行為がゲーム実況という文化の醸成や筆者自身がオススメするゲームを誰かに遊んでもらうという喜びにつながっているなどの事例を紹介している。

でも本書を読んだからと言って企業アカウントがバズったり、早起きの習慣がついたりするようなわけではない。

帯に「2500万PV獲得」と書いているがそれを目標に頑張りましょう!と勧めてるわけでもない。いやむしろ広告収入による手段を問わない粗悪なパクリ記事がブログ文化を衰退させたとまで書いている。はてなブログとKADOKAWAが組んでこの本が出版したらしいがまさに堂々たる批判である。

突然「本を書きませんか」というメールに詐欺か何かだろうかと恐る恐る文面を読んだところ、しかも出版社はあのKADOKAWAと言うではないか。どうも、私が利用しているはてなブログとの共同サービスで、ブロガーを出版社に紹介して作家デビューさせるというものらしい。
https://note.com/j1n1/n/n401349a4f2b0

でも裏を返せばこの実情を書くだけ問題は深刻であり、より真剣に自分のポジティブな気持ちを伝えることが大事だということだ。

損得ではなく、ごく純粋に「これ、いいよ」という気持ちが伝わることの素晴らしさ、楽しさがしたためられている。

ある意味ではハウツーでもあるが同時に究極的に趣味の本といえるだろう。
つまり、もしピアノが弾けたらいいな、イラストが描けたらいいなというノリで「もっと語彙力があったらな」という人にむけた本だ。

「今日新発売のゲームが…」「これまだマイナーな作品なんだけど…」「この俳優の演技がシブくって…」

なにげないけど誰もが飢えている感情だ。なのに作品は無限に生まれ続ける。NETFLIXもAMAZONプライムビデオもオリジナルコンテツをつくるし、EPIC GAMESは未だに無料でゲームを配布しまくり、twitterやpixivでは神絵師が無限湧きしている。

互いの推しなくしてよい作品にめぐりあうのも骨が折れるというもの。だからこそ「自分は面白いと思うけどみんなはどうおもうかな」と引け目を感じてしまうものでもある。

本書はそんな窮屈さから素晴らしい推しの世界へと導く助産師になってくれるだろう。

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