夫の介護に居場所を見つける妻たち

月末に、深谷市在住の妹が泊まりに来るのが定番になった。旦那が脳梗塞の後遺症で車椅子生活になってから、13年ほどたつか。はじめは絶対回復させてみせると、必死にリハビリを用意していたが、勝ち気な妹とは真逆の旦那は、ラクなほうに、ラクなほうに流れてしまう性格なのだ。リハビリなど全くやる気がない。手も足も、目に見えて衰えるし、まともな会話も成り立たない。一日中「おーい」「おーい」と叫んで妹を呼びつける。
妹は、家の中に他人が入るのは嫌だと、旦那の手足となって介護を続けてきた。しかし、その旦那もさすがに80歳間近になってくると、年齢相応の衰えも加わり、並大抵の介護では追いつかなくなった。24時間のおむつ着用、食事も完全とろみ食だ。唯一自力でできるのは、手元に置いたテレビのリモコン操作だけ。深谷の家は、昼も夜も時代劇ドラマの大音量のセリフが鳴り響いている。
さすがにここ1、2年は週に⒉回ほど、入浴目的でデイサービスに通わせ、月に一度ショートステイで一泊するようになった。妹は自分の通院すらその日に合わせて、旦那がいない時間がかえって大忙しの生活だった。でも、妹自身も歳を取る。無理が利かなくなり、今は、何はさておきわが家に泊まりに来るのだ。
私の友人の中にも夫を懸命に介護している人は何人もいる。夫たちはたいてい仕事人間で、家庭を顧みることはない、典型的な日本の男、「黙ってオレの言うとおりにしていればいいのだ」。私より上の年齢の男は、ほとんどこのタイプだ。
妻たちは、モラハラ夫に不満を抱えながらも、子どもをいい大学にいれることに力を注ぎ、家庭を守る。いよいよ我慢の限界に達するか、とそんなときに夫は病に倒れ、すべての権限が妻の手の中に戻ってくる。「この人は私がいないと生きていけないの」「今が一番幸せで楽しいわ」と、彼女たちは言うのだ。夫の車椅子の脇で笑みを浮かべる友人、そんな画像が刷られた年賀状が何枚も届く。
私は、妹や友人たちのような妻としての生き方に、今更表立ってもの申すつもりはない。人生の最後に、自分を褒めてあげられるのなら、それでいい。ただ、私には絶対できない、ということだ。

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