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3月のライオン15巻を読んで。




父親を愛せないわたしは、悲しい人生を送るのかもしれないなぁと思った。


今は一人が心底心地よくて、安堵する日々でも、いつかはこの手を取って、一緒に歩いてくれる誰かと出会いたいと思っているのかもしれない。



3月のライオンに出てくるおじさん達はみんな格好良い。やっぱり棋士という職業であり生き方が、自分や世界と徹底的に向き合うもので、それは山籠もりや修行にも近くて。

人間としてはあまりにも厭世的な部分さえ感じさせるから、魅力的なんだなぁと改めて噛み締めた。


ブンちゃんの小さな話末ごとのイラストに目頭が熱くなってしまって、羽海野チカさんは本当に、人生の厳しさと人間や生き物のあたたかさを知っている方だ、と泣きたくなった。



本当は愛したかったのに、愛せなかったもの。


たぶん将来、悲しくなったり打ちひしがれたりするもの。


でも、自分自身の傷ついてきた思いも蔑ろにはできなくて、無理に愛することはできない。


心に正直に生きていきたいと切実に思ってしまう。

それが、自分や他者への誠実さでもあると今では、信じているから。

たぶんそれは正しい判断なのだろう。

何もかもすべてを選び取ることはできない。人生をは選択の連続で、何かひとつを選んだ時には同時にもうひとつを捨てているということ。

同じドアをくぐれたらでも、藤くんがそう言ってるよ。わたしが初めて意識したのは、18で大学受験をする時期だったけど。


そういう意味では、桐山くんが引き取られた先の家族と関係を築けなくて、一人になって安堵して、「迷惑をかけずに生きていく」と思っていたにも関わらず、偶然あかりさんに拾われて、ひなちゃんたちに出会って、また新しい場所でゆっくりと、家族のような関係を築いていくという物語はとても美しい。希望だと感じているのかもしれない。


人には自分で決められない、最初に定められた与えられた場所がある。わたしはそれを、「家族」と定義してる。

その最初の場所で、上手く自分でいられず苦しくて堪らなくて逃げ出したとしても、その先でいつか、自分でいられる居場所に出会えることもあるのかな。

3月のライオンを読んでいるといつも、そういうことを考える。


桐山くんには、棋士としての居場所や高校という複数のコミュニティがあって、それらはすべて彼が後から手に入れたものだ。だからこそどれも当たり前ではなく、尊くて。桐山くんと彼を取り囲む人々とのそれぞれの関係性にも、いちいち泣きそうになる。

タイミングは遅れても、十代の内に、本来なら自然に与えられるべき居場所を取り戻して、人生のやり直しをしている桐山くんは、すごく大事な時期を生きていると思うし、シンプルに応援したくなる。


そして、先生の「絶対におにぎりを手放すな」という言葉。桐山くんが生きていくために、必要なもの。ひなちゃんという存在。

その人のために生きていくと、誓った相手。

人間は、大事に思うものを持たないと、あっという間に無慈悲で投げやりな化け物になってしまうのかもしれない。あっさりと、脆く。

勝負の世界でシビアに生きる者には、必要なこと?

桐山くんは、変化を恐れてる。自分の人生を生き延びるために、孤独で耐えることを生存戦略としてきた年月が長すぎて。

でも、そのままだと、勝利のために貪欲にすべてをかなぐり捨てて生きられるわけでもない桐山くんは、ふらっと消えてしまいそうな危うさもある。

いつか突然糸が切れるように、人生に疲れ果てて自分という存在を投げ捨ててしまいそうな儚さをはらんでいる。

そんな桐山くんを繋ぎとめてくれる港が、紛れもなくひなちゃんなんだ。

なんだか、わたしの大好きなキャラクターの一人である石澤恭司を思い出した。彼はそれをしっかりと自覚していて、意識して自分をこの世に繋ぎとめていた。


常に自分とストイックに向き合わざるを得ない職業、それが棋士なのかもしれないけど。道半ばで去る人も多い中、苦しくても自分や周囲の人たちと逃げずに向き合うことができている桐山くんは、棋士が天職でもあるんだろうな。

今回は、モモちゃんがきっかけで桐山くんが一番最初の本当の家族を思い出した場面があって、びっくりしてまたぐっと来てしまった。

家族の食事風景って、幸せなんだろうね。友達や恋人でも、一緒にご飯食べた回数が多いほど、仲良くなる気がするもんね。一緒にご飯食べて美味しく感じる人は、あぁ好きだなぁって思うもの。


誰かと対戦するたびに、暗闇に沈む桐山くんの心情描写が、とてもとても好きです。


「死ぬことさえも  むずかしくて

ーもうこれしか無い  と

必死で掴んだのが

将棋だった

多分これが  報いだ

居場所が欲しくて ついた嘘が

まっくろな闇になって

静かに僕を追って来る」


過去との対面、人生の理不尽さと生存戦略に結びついて逃れられない「将棋」。対比として、将棋とはなんの関係も持たない、あたたかい夕飯のシチューに心が溶かされること。

彼の葛藤は、先生が気づいている通り「将棋を純粋に愛して夢として捉えているわけではないこと」なんだろう。

生存戦略として幼少期からしがみついてきたものを、キラキラとした眩しい夢として捉えることは難しい、というか、不可能だから。まるで将棋の神様を裏切っているような暗闇に落とされて、打ちのめされているのかな。苦しい。桐山少年の業が深すぎるよ、、。


桐山くんの実父の話も出てきて、少しずつ彼が、過去とも向き合って受容していくのかな…と思わせる描写が随所に出てきて、すごく良かったです。



月並みだけど、化け物(として生き延びざるを得なかった人)が、他者との交流を経て少しずつ人間らしくなっていく過程がとても好きです…。

人間らしさって、そう在ることを赦される、他者に弱みを見せられる、恵まれた環境が必要だと思っているから。


棋士としての桐山零が今後どんな道をあゆんでいくのかは未知数だけれど、どうか彼の行く末に光が途切れませんようにと、祈るばかり。


ああ、こんな風に人生を感じられる漫画、だいすきだなぁー。

もう長年読んでるので、思い入れの深い漫画です。3月のライオンは。


BUMPも大好きなバンドだし、映画も観た。。


また次巻を楽しみに生きよう。桐山くんの懸命に生きる姿に励まされるんだ、いつも。



そしてブンちゃん、虹の向こう側で、ゆっくりと安らかにお過ごしください。




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