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☆2020.10.18白い魔法使いからのお手紙

今朝の朝焼けとっても綺麗でした。海上に大きなタンカーが何隻か停泊することがあるのですが、その様子を眺めるのも楽しいです。行き交う船の様子を眺めながら欠伸を一つ。

おはようございます。

風は夏は暑すぎてテラスでもゆっくりできないのですが、この時期は部屋の中よりも断然テラスのほうが気持ち良いので、ほとんど一日中テラスにいます。読書用のソファーもテラスへ移動、小さな机と、お気に入りの林檎の形のランプも移動・・・これはもう部屋では?(笑)

朝は刻々と見えている景色が変化してゆきますね。今は、薄雲が覆われた青空が紗を透かしたように見えます。ひととき心に刻むことはできるけれども、すぐに散らばってゆく雲のかたち。美しいですね。

「紗」と言えば好きな描写の1つを、ふと思い出したので(突如・笑)


・・・門一ぱいに当っている、油のような夕日の光の中に、老人のかぶった紗の帽子や、土耳古(トルコ)の女の金の耳環(みみわ)や、白馬に飾った色糸の手綱が、絶えず流れて行く容子ようすは、まるで画のような美しさ・・
芥川龍之介 / 杜子春 (青空文庫)


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今日の占いです。

< 目には見えない「通り道」を見つけるような日。

あの草の茂みを通り抜ければ 昔から知ってるあの場所へたどり着ける・・きっと。 

あなたはきっと通り道を間違えてはいなかった。それで正解。

「昔から知ってるあの場所」のほうが、いよいよそのセッティングを始めたようです。

・・・ちょっと抽象的な書き方になりすぎましたが、人が「願い事が叶いますように!」と祈るような気持ちになる時、本当に本当にその「願いが叶った状態」って強く濃くイメージ出来ているのだろうか?と思うことがあります。心のどこかで「そんなわけないよな」「これくらいでいいか・・」って、どこか妥協しているところあるような気がします。祈って、願って、それで満足してる・・みたいな。それもロマンチックで素敵なのですが「心から欲しい未来」が見えてくればくるほど、また同時に「美しければ美しいほど」「遠ければ遠いほど」、切実にイメージを切り開いてゆく必要も出てきます。最近よく書いている「痛み」については、この「切り開く時の痛み」なのかも知れません。

「草の茂みを通り抜けたら・・」と書いたけれど、柔らかな草ではなく、棘だらけの茂み、っていうこともきっとあるはずです。それでも何度もそこを通り抜けた・・その先を見てみたくて、いつか「あの場所」が「私が願う場所」に夢みたいに切り替わっているように・・と祈りながら・・。

どこに通じているのやら分からないまま闇の中を駆け抜け続けて、毎回「昔から知ってるあの場所」にたどり着いたつもりになっていた・・でもそこにはいつも誰もいなくて ただ1つ「思い出」だけが ひっそりと置かれてた それをあなたは手に取り毎回寂しい想いを募らせていた 

私の記憶ではここはいつでも「知ってる場所」のはずなのに・・毎回違う景色になってしまう 何故私の想ってることと この場所は食い違う? ちゃんとあの通り道を抜けてきたはずなのに・・と涙したこともあるかも知れません。

願い続けたことが現実として形を持ち始める時、その形を与えているのは誰でもなく、あなた自身がそれを創造しているということを憶えていましょう。「これでいい」とお腹の底から思えるか?「できることは全部やってみる」「誰に何を言われようとも、通り道の先にあるはずのその場所を形作ることを諦めない」。思い切り、馬鹿みたいに何かを信じる・・新月を過ぎ、新しい一頁が刻まれ続けていることを感じてみましょう。

あなただけが持っているその本の一頁に「確固たる場所」を刻み込む時間が始まるようです。>

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私も今日は久しぶりに自分のための「魔法の本」に、これから先の居場所になるであろうその場所を羽ペンで刻み込もうと思います。 覚えててくれる人がいると嬉しいのだけれど、前にここで書いたユールのリチュアル(冬至の儀式)のはじまりはじまり・・という流れです。こういう種明かしは好きです・笑。忘れた頃に言い始めるw。 

さて、今日の雑談コーナーです☆

昨夜も懲りずにツェランを読んでいます。

ツェランは、「語るために、自分を方向づけるために、自分の居場所を知り、自分がどこへ向かうのかを知るために、自分に現実を設けるために」詩を書いたんだな・・・としみじみと思い、ちょっと感動して涙が出るほどです。

切実さを通り越して「何もない美しさ」を感じるのですよね、ツェランの文体は。流動的でありながら軽い。この軽さ・・どこへでも行けるほどに散らばった軽さ・・それが「散文」という形態なのでしょうか・・(独り言)ホロコーストをの記憶を呼び覚ますよう、忘れぬように刻まれたはずのその言葉たちの端々からはいつも「どこかへ・・」と意識を飛ばしていることを体感で感じるほど痛いし切ないです。ここにいるからこそ散文的になれるのだな・・とも思います。散文的になる、ということ、それは意識の強靭さをも示している気すらするのです。そうすると、やはり「痛みの記憶」であるホロコースト・差別・偏見・どうすることもできない時代の激流・・その中で生きた証を伝えたい、ただひたすらに心象を切り刻むしか方法がない・・と、たどり着いた詩人の「結果」「果て」のような気がしてなりません。そして、何故だか不思議な因果で今年の夏の間ずっとこのツェランが頭に描いたであろう心象と似た場所を、てくてくと歩み続けた私・・こういうクロスフェードって何でしょうね・・って考えていたら、ツェランさん答えを書いてくれていました・笑。親切か!


――詩は言葉の一形態であり、その本質上対話的なものである以上、いつの日にかはどこかの岸辺に――おそらくは心の岸辺に――流れつくという(かならずしもいつも期待にみちてはいない)信念の下に投げこまれる投壜通信のようなものかもしれません。詩は、このような意味でも、途上にあるものです――何かを目指すものです。……語り掛けることのできる「あなた」、語り掛けることのできる現実をめざしているのです。


――ここにいるぼく、こういったことをなにもかもきみにいえるぼく、いえるはずだったぼく、きみにいえないぼく、きみにいえなかったぼく、ぼく、――……あの日々のぼく、ここにいるぼく、かなたにいるぼく、愛することのなかったものらの愛におそらく――いま!――つきそわれて、この山頂のぼくまでの道をたどって来たぼく。


「詩は、あらゆる比喩やメタファーが不条理に運用される場所である」

はい、私のぼんやりし過ぎた頭でも何とかまとめることができました(笑)

夜をかきわけて、何度も何度も朝を繰り返して、あなたの心に赤い火が灯ったら せめてほら、響け また思い出せるように・・・

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親愛なる全ての友へ 心に灯火を

愛するあなたへ 幸いあれ

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