負けず嫌いが負けを知り、負け知らずになった勉強法
私が手にしたテキストは、いつも手垢で色あせてボロボロになる。
まるで触れたものが朽ちる魔法にでもかかったかのように、自分のノート・教科書・参考書は原型をとどめない。
何度も、ページをめくって開いて読んでは閉じてを繰り返すので、どれだけ分厚いテキストでも、ページを開いたまま閉じなくなる。
私の勉強法は至極単純で、老若男女問わず、場所も選ばない。
非常に安価で自分一人でできる。
その勉強法は、
それも、「何ページのどの辺に何が書いてあったか」が思い出せるくらい何度も何度も見て読んで覚え、毎日ちょっとずつ分厚いテキストのページを読み進める。
ただそれだけだ。
最も分厚いテキストなので、覚える範囲の抜け漏れはなく、他の参考書はほぼいらない。
参考書同士の解釈の違いや文言の整合性の問題も生じない。
この勉強法だけで、試験やテストはほぼ一発で合格してきた。
しかし、こんな単純で簡単な勉強法にたどり着くには、多くの苦労があった。
高校時代
高校三年生の時、ある英語の先生に言われた。
当時は大学受験の勉強で第一志望に届くほどなかなか成績が伸びなかった。精神的に打ちのめされていて、うつろな目で半分強制されたように勉強をしていたが、英語の先生のこの言葉で元気が出た。
夏休みの終わりに、基礎をもう一度見直すため、新しい参考書を10冊くらい大量に買い込んでこなしていった。
参考書の中には、ほとんど新品のままのものもあったが、自分に合う合わないの問題だと思い込んで、放置していた。
それらの参考書を解き終わったころに、大学入試の過去問を解いて自信をつけていった。
しかし、結果は、全落ち。
模試でA判定の大学も落ちていた。
負けず嫌いの私が、ここまで落ち込んだことはなかった。
学年でトップを毎回争っていて、高校三年間特待生だった私が、成績が劣るクラスメイトに抜かれていく。
卒業式は、進路が決まっていない生徒の一人だった。
浪人時代
浪人時代、予備校に入って、当時の担当の先生にまず言われたことがある。
当時はあまりピンと来なかったが、とりあえず言われた通りに、予備校のテキストとノート、そして高校の教科書とお気に入りのボロボロの参考書だけを残して、他の参考書類はすべて捨てた。
何度も繰り返して予備校のテキストを読み、「またこの問題かよ。これの解答はこれで、解き方はこう。これ復習する意味ある?」と何度も頭の中で口にしていた。
ノートもテキストもボロボロになり、ところどころ破れて、高校の教科書は買い直したくらいだ。
すると、8月の終わりから、成績がぐんぐんと伸びていき、世界史では校舎でトップに貼りだされたこともあった。
受験の結果は、第一志望に挑戦できたけど落ちてしまった。
ただ、昨年のような負の感情は一切なく、むしろ、やり切って清々しかった。
大学時代
浪人時代の勉強法にヒントを得てから、大学の試験では、講義ノートを何度も何度も見返して臨んでいた。
満点を取ったこともあり、GPA(大学の成績)も良く、その大学特有の返済不要の奨学金を得ていたほどだった。
実は、この勉強法は、高校時代から片鱗はあった。
得意な数学や生物の参考書はボロボロで、苦手な国語の中でも得意だった古文と漢文の参考書はボロボロだった。
今思えば、本当は薄々この勉強法に気づいていたのかもしれない。
大学から本をよく読むようになり、高校までとは一味違う大学の勉強が楽しくなった。
将来は、研究者になりたいとぼんやりと思っていた。
大学院入学試験(院試)では、私は特別な受け方をしたけれど、勉強の仕方は変わらない。
志望する大学院の過去問をできるだけ取り寄せて問題を見て、その出題範囲をできるだけ網羅した最も分厚いテキストを図書館で何度も借りて読み込んだ。
院試までたった二か月半の勉強期間だったが、この勉強法で夏の院試で一発合格した。
大学院以降
大学院の修士課程を修了して社会人になり、資格が必要になる場面があった。
その時も、定番のテキストをネットで探して購入し、何度も何度も読み返して演習し、すべて一発合格した。
就職活動で必要なSPIや適性試験も、この勉強法で落ちることはなかった。
この時に、私は自分の勉強法を明確に自覚したかもしれない。
最も単純でお金がかからず、どこでもだれでもできる。
それが、何度も読み返すシンプルな勉強法だった。
世の中にはいろんな勉強法があるけれど、つまるところ復習を繰り返して覚えるかなので、この勉強法の要素は入っている。
そして、変な勉強法は「いかに勉強するか」に焦点を置いていて、勉強することが目的化している。
変な勉強法は、勉強で内容を覚えて、未来の夢を実現する目標からズレている。
そんな変なことをしなくても、学んだことを完璧に頭に入れられたら、それで十分だと思う。