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サラリーマン不適合者の私が、20年ほど阿鼻叫喚・苦難続きのサラリーマン生活をどう乗り切っていたかについての話(ダラダラと随時更新)

現在は、人事・法務・総務・監査分野に特化したコンサルやらせて頂いておりますが、以前は20年ほどサラリーマン生活をしていました。

生まれてからこの方小学校から大学までの日本社会での学生生活でのコミュニティでの過ごし方にすら苦痛を覚えていた私が、同調圧力・出る杭は打たれるの日本の会社の中で20年ほどサラリーマン生活を送ることは、毎日が苦痛の連続でした。

社会人初日からサラリーマン生活最後の日の最後の一秒まで苦痛でした。

事態を好転させようと転職も数回実行してみましたし、合わない仕事で頑張りすぎて、うつ病になり休職経験もしました。

そこから学べたこと(意味がなかったと学べたことも含めて)を、同じくサラリーマン不適合者と感じている皆様に共有できればと思い書かせていただきます。恥を忍んで過去の黒歴史も全てを書いています。

トップで合格した大学を留年ギリギリで卒業した年に就職氷河期が始まり、全く興味のない不動産販売会社に入社したところから、私の地獄が始まったのです。

不動産販売会社では、マンションのモデルルームでいわゆる売り子をやっていました。不動産屋は魑魅魍魎の集まりです。ブロック長と言われる、現場を一段上から統括する立場の人は、バブル期に原野商法(※)をやっていたと噂される人物でした。(見た目は、どう見ても経済ヤクザ)

(※)原野商法とは、値上がりの見込みがほとんどないような山林や原野について「将来高値で売れる」などと勧誘して不当に買わせるもので、1970~1980年代にかけて被害が多発しました。

千三つ(千のうち本当のことは三つしか言わない意)の世界を体現する営業方法で、不利なことは言わない、客の射幸心を煽る、夜討ち朝駆け、張り込み何でもアリでした。

そんな営業方法は、社会に出たばかりで他の会社を知らない私でも「このやり方一般社会の常識とかけ離れているんじゃないか。違法なんじゃないか?」と思いましたので、自分なりにモラルを守りながら、且つ、上の人間の意向に従っているフリをしながら営業をしていました。

上司「おい、お前!あのチブデブ親父(顧客に勝手につけてるあだ名)に何回営業電話かけたんだ?あ?」

私「50回です!(本当は5回)」

上司「すくねーよ!バカ!あいつは押せば買うやつだ。もっとかけろ!」

私「分かりました!(そんな電話かけたら買う人も買わないだろ・・・)」

こんなやり取りを日常茶飯事のようにしていました。(続く)




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