柊鰯

節分と柊鰯

「令和」最初の節分を過ごし、あらためて思うことがある。季節の変わり目に生じる邪気(鬼)を追い払う節分の慣わしとして、豆まき、恵方巻は定着しているのに比べ、焼いた鰯(いわし)の頭に柊(ひいらぎ)の小枝を刺した魔除けの柊鰯が、あまりに浸透していない。柊鰯は節分当日に玄関などの門口に挿し、翌日には捨ててしまえば良いのだから、手間暇いらずでとても合理的な風習だ。わが家でも、豆まき、恵方巻の代わりに推奨したい。ただ奥さんはこの意見を認めるつもりがない。

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豆まきと恵方巻

わが家の節分は、2020年こそ恵方巻だけだったが、19年は豆まきと恵方巻を両方した。豆まきは「福は内、鬼は外」と言いながら豆を投げるだけなら楽しいが、実際のところはまいた豆を掃除しなければならない。そのままにして、すっかり踏み潰そうものならば、それを狙って黒いテカテカした"Gども"がたかりかねない。

外に投げるにしても、隣近所に配慮する必要がある。翌日以降、自分の家の周りだけ豆が散乱しているようであれば、白い目で見られるだけならまだしも、苦情が寄せられなどしたらたまったもんではない。19年は奥さんが"鬼役"のこちらに向かって威勢よく投げ散らかしたため、そんな豆を掃除してまわった。正直、今後は御免被りたいものである。

古市庵001

恵方巻は美味しい。だが、その年々で決められた方向に向かって食べなくてはならないところが、とても煩わしい。しかも黙ったまま、一気に一本食べきる必要があるのも気に入らない。これでは美味しさも半減してしまう。奥さんはほとんど気にしていないが、寒い中、安くもない恵方巻をデパ地下まで買いに行く労力が報われない。

そもそも節分の慣わしが目指す本来の目的は「魔除け」である。一方、恵方巻は、節分に恵方を向いて無言で食すると縁起が良いとされる慣わしで魔除けではない。双方の目的にはズレがある。そして、これが、広く言われている"関連業界の陰謀"に説得力を与えるているように個人的には思う。売れ残った恵方巻は廃棄処分されるムダも発生している。

合理性ある魔除け

柊鰯は認知度が薄いものの、安い鰯と手に入れやすい柊でつくる魔除けで、節分にふさわしい慣わしだ。鰯については焼いた頭が必要なだけで、それ以外のパーツは食べられる。栄養も満点だ。柊も割と身近な植物である。近所の庭でも目にすることが多そうだ。だから、柊鰯は、手間暇やコストから考えて、豆まきや恵方巻に比べて合理的と言える。

奥さんは21年以降も、豆まきと恵方巻を楽しみたいようだ。柊鰯の話には敢えて聞こえないふりをする。こちらとて、どうしても豆まきと恵方巻をやめなくてはならない理由もない。豆まきは楽しいし、恵方巻は美味しい。そこで奥さんに聞こえるように、豆まき後に掃除してくれるのならば、豆まきに付き合うと言ってみる:

奥さんは無言どころか、お手洗いに逃げ込んだ。

(写真〈上から順に〉:豆まき、恵方巻に比べて認知度が低い柊鰯=フリー素材を元にりす作成、奥さんが古市庵の恵方巻=古市庵HP)

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