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向き合うということ - その過程は美しくなくとも、その先にあるものは美しい





「人間、見た目じゃないよね」

という発言は、しょせん美男美女にしか許されない戯言、とふつうの大人なら知っている。「人生お金じゃないよ」「学歴なんて関係ないよね」しかり。いずれにせよ、持たざる者の発言は負け惜しみ、と。

しかし妬むにはおよばない。世の大多数は美男でも美女でもないし、特別金持ちでもなければ頭が良いわけでもない。生まれつき役満一向聴みたいな人は確かにいるけれど、いやもうなんなら天和みたいな人もいるかもしれないけれど、だいたいの人は散らかった配牌で生まれ落ちている。

外目につく、わかりやすい魅力を備えた人など、一握りしかいない。

ということは、ほとんどの人間関係は、互いの良さを見つけるのに時間がかかる。

その過程では、おおいに困難が生じることもある。誤解があったり、それが嫌悪につながったり。そこでそれきりになってしまう関係もあるだろう。あるいは多くがそれきりになってしまうのかもしれない。

しかし、そこから逃げずに、向き合うことでたどり着ける世界がある。

しんどいけど、その先に得られるものは、必ずある。


このボトルは、そんなことを考えるきっかけになる一本と思う。

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【刺々しさの奥に】
6月某日、モルトヤマさんより「良い樽が見つかったのでぜひラベルデザインを依頼したい」とのご連絡をいただいた。

面識のない私にそんなご依頼をくださるのは光栄だが、一方で「いや、ていうかTwitterで知り合っただけの人をそんな安易に信頼して大丈夫ですか」という気もしないでもない。先方はきちんとした法人で、会社の住所から本名からご尊顔まで晒してるけど、こちらは一切なんも開示してないので。

というわけで、やはりまずは一度直接お目にかかることにした。この歳まで生きてて、人生初北陸。

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ほどなくしてある日曜の昼下がり、富山駅に降り立った。改札で出迎えてくださったごモルトヤマさんは、思ったより背が高くてシュッとしていた。路面電車を眺めながら歩くこと数分、昼食がてらの打ち合わせと、素敵なお店にご案内いただく。

地元の幸を堪能しながら、時節柄テーブル中央に設置された透明パネル越しに軽く世間話をしたあと、今回のサンプルについてモルトヤマさんはこうおっしゃった。

「尖った刺激があります。度数も高く、荒々しい。でもその奥に、熟したりんごのような美しいフルーティーさがあります」

それから、このボトルに込めた思いについてこう続けた。

「初め、とっつきにくい味です。でも飲み手にはぜひ、そこで投げ出さず向き合うことで、刺々しさの奥にある美しさを見つけてほしいのです」

実はこのとき初めて知ったのだが、普段モルトヤマさんはご自身でもラベルを制作されているとのこと。つまり、制作は必ずしも外注する必要がない。それでも今回これを私にご依頼くださるに至った理由について、こうおっしゃってくださった。

「完璧なものが美しいのではなく、欠落に潜む美しさに魅力を感じられるものこそが美しい。そんなメッセージを込めたボトルにしたいと思っています。それは自分の力量では表現できないと思いまして」

この短時間でそこまでの信頼に足る人間と思っていただけたかどうかはわからないが、食事のあと駅の近くでコーヒーを飲みながらご趣味のギターのお話などを伺い、北陸の地をあとにした。帰路の車中、さっそくコンセプトプランニングに取りかかる。


【Beauty in the Beast】
モートラックが「ダフタウンの野獣」と呼ばれていることもあって(って私は今回初めて知ったのだけども)、このボトルのコンセプトにモルトヤマさんは、

「美女と野獣(Beauty and the Beast)」

をイメージしているとおっしゃっていた。

しかし、考えるにつれ、「荒々しさの奥にある美」ということであれば、美女と野獣と言うよりは

「野獣の中の美(Beauty in the Beast)」

ではないかな、と思うに至った。

というわけでさっそく翌日、商品テーマに「Beauty in the Beast」を据えることを企画書にまとめ、モルトヤマさんにご提案した。幸いすんなりと受け入れていただくことができて、方向性はわずか1日で定まった。


【重暗いとばりと刺つぼみ】
さて、「何を表すか」が決まったところで次は「どう表すか」。

刺(トゲ)の奥に潜む美しさ、というテーマならば、この「美」の象徴にはやはり薔薇がふさわしい。

そして今回のコンセプトである「欠落も美の一部」を同時に持ち合わせたい。

そこで、キービジュアルには「十六夜薔薇(いざよいばら)」を用いることにした。

この薔薇は花弁が多く大変美しい一方で、咲く際に欠けが生じ、完全な円形に咲かないのだという。それが十六夜(十五夜のような真円ではなく、少しだけ欠けている月)のようということで、その名が付けられたそうだ。

また、十六夜薔薇は茎だけでなくつぼみ自体にもトゲがある。内包する花弁の多さゆえつぼみはまるっこくて不格好、そのうえトゲまであって、完全に閉じている状態ではこの物体から美しい花が現れるようにはとても見えない。

しかしひとたび開きはじめればトゲトゲのつぼみから美しい花弁の色が窺えて、その様はまさに「険しさの奥にある美」の象徴としてぴったり。

ラベル絵にはそんな「完璧でなくとも、なお美しい花」が、重く厚いベルベットカーテンの奥の、そのまたトゲつぼみの奥に潜んでいる様子を描き下ろした。

レイアウトは「クラシカルな分厚いハードカバー書籍の表紙」を模してある。その向こうにあるストーリーを読むように、ゆっくりと向き合い、味わってほしい、という願いを込めて。


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ところでコンセプトは1日で決まったが、それは自分自身がごく最近、まさに

「とっつきにくいものと、じっくりと向き合うことでしか得られないものがある」

という経験をしたばかりで、本当に心から、強くそう思えるテーマだったからでもあった。


たとえサジ投げたくなるような難しい相手でも、逃げずに向き合うことでしかたどり着けない境地がある。

さてこれより以下、少々長い個人談になるため、興味のない方はここで読了で問題ない。ここでこの記事は閉じて、いますぐモルトヤマモートラックをポチだ。


ただある意味、ここから先が「本当の制作秘話」でもある。辛辣な内容ゆえ一部の方々を傷つける可能性もありますが(そのことでご批判があるかもしれません)それでもよかったら読んでみてください ↓↓↓↓












【警告】メンタルに不安を抱える方はここでUターン














【当事者と傍観者】
一昨年、弊社に中途の新人が入った。一見、愛想良く明るい好青年だ。

しかし、どこか「...なんかおかしいな」と思わないでもないところがあった。

何がおかしいのか、うまく言葉にできない。


が、とにかく、何かが、おかしいのだ。


彼の入社から約1か月後のある日事件は起こった。はじめに配属された部署で彼が「とある問題行為」をやらかしたという。

なにせ当初は彼がそんなことをするようには見えなかったため、その不可解さと、責任の所在を巡って関係者は大揉めに揉めた。騒ぎになったことにばつが悪かったのかどうか知らんが、彼はそのあと数日、登校拒否ならぬ出社拒否になった。

結局彼はその部署を入社ひと月で放り出された。

その後移された別の部署では、彼の面倒をみていた人が、彼が起こす様々な問題の顛末に嫌気がさして、なんと会社をやめてしまった。

その結果、

たらい回し的に私が面倒みることになった。

ここまでの経緯について、私は当事者でないため真相はよく知らない。しかしこの貧乏くじな顛末からも、もう嫌な予感しかしない。



実際彼を身近に置いてみると「謎のおかしさ」は徐々に具現化してきた。

まず、彼は非常に親和欲求が高く、あらゆる人と仲良くしたがる。しかしその割には発言が空気を読めておらず、人との距離感がおかしい。かつ悪気なく人のカンに触ることを言うようなところがあった。

これだけでもかなり微妙な奴だが、加えて彼には、そんなことは些末なことと思えるほどの致命的な難点があったのだ。

それは

「頼まれてもいないことを勝手にやる」

という謎の行動だった。

「自ら率先して考え動く人材」といえば聞こえはいいかもしれないが、そういうのではない。彼は、たとえば、ベテランの先輩が作った資料を勝手に書き換えてしまう。誤字の修正とかではない。新人の未熟な知識で、専門領域の情報を加筆してしまうのだ。しかも書き換えたことを報告もしない。だから作成者はまさかいつの間にか書き換えられているとはしばらく気づけない。すごいだろ。

なぜそんなことをしたのか本人に事情聴取したところ、恐ろしいことに彼はそれを「添削」のつもりで行っているようだった。「自分はできる人間だ」ということを早く周囲に認めさせたいがゆえの行動だったらしい。

そう、彼は親和欲求に加えて承認欲求も異常に高かった。

しかし「気が利く」と「越権行為」の判断がつかない人間は指示外のことをしてはいけない。つまり承認を得るための方法としては完全に間違っている。

ただ、間違ってはいるが、「動機」としてはまだわからなくもない。少なくとも論理的理解の範囲内ではある。

しかし彼最大の、どうやっても理解不能な謎はここからが真骨頂だ。

彼は「それはあなたが勝手にやってはいけません」と何度注意されても、それで何度同じ痛い目を見ても、まるでそんなことなかったかのようにまた同じことをやるのだ。

もはや破壊活動を目的に他社から送り込まれた工作員かとも思ったが、であればもうちょっと足がつかないようにやるだろう。つまりそこまで優秀な人材でもなかった。

となるともう、消去法的にひとつの可能性しか思いつかない。

勘のいい方ならそろそろお気づきかと思う。

極めてデリケートな話になるのでオブラートに包みまくった物言いになるが、

「いわゆる、そういう類の特性を持っている人」

なのだと思う。診断書があるわけではないけれども。



【向き合うということ】

「使えない人間などない。臆病者は偵察に使えばよい。勇者を偵察に使うと相手を見くびる」


武田信玄はこう言ったとか言わないとか。しかし「適材適所」とは、言うに容易く行うに難い。

私とて、こういう「ちょっと社会に馴染めないユニークな特性を持った人」も皆で受け入れるあたたかな世界であるべきだと願っている。SNS等でそういう方の話を見聞きするにつけ、一層その思いは強まる。もし仮にこれが我が子であったら、と考えればなおさらである。

しかし現実は甘くなかった。実際、自分自身がご当人に直面すると、そんな器を保つ余裕はとてもなかった。

結局そこまで懐が深くない人間にとって、社会的弱者の受け入れというのはある種のNIMBY (それは社会に必要だとは思うけどうちの裏庭ではやるな)なのだと身をもって知った。

彼は転職歴が多く、前職も短期間で辞めている。本人曰くそこではいじめられたという。申し訳ないが「...だろうな」という感想しか浮かばない。

別段懐が深いわけでもない私は、彼を雇った人事の見る目のなさを、彼をサジ投げた部署を、そして何よりも、これだけ周囲に迷惑かけまくって今なお居座っている彼本人を恨めしく思わずにはいられなかった。

日本の法律は素晴らしい。どんな奴でもそう簡単にクビ切れないようになっている。しかし自身もいつこのルールに守られることがあるやもわからないし、そもそも自分に人事権があるわけでない以上、状況をいくら恨んだところで何も変わらない。You play with the cards you're dealed. 人生は与えられたカードで闘うしかない、スヌーピー師匠はこうおっしゃった。自分にできるのは、この状況にどう対処するかしかない。

こうなってみて結局、否が応でも向き合うことになったのは、他でもなく、自分自身の器であった。彼と向き合うこととはすなわち、自分の至らなさを認識しそれを一つずつ乗り越えること、つまり自分自身と向き合うことであった。

そこで、まずは「感情的なことはいったん横においておく」という自己訓練から始めることにした。

極力客観的に「彼にできること、できないこと」を仕分けし、触ってはいけないことは物理的にアクセスできないよう処置、指示はいっぺんに言わず一つずつ、口頭だけでなく書面も残し、それでもできないことがあったらそれは「できないこと」へ仕分けし直し、できるようになったことがあれば「できること」へと仕分けし...と、とにかく物理的に対処するようつとめる。

彼が意味不明な言動をしても「なんで」とか「どうして」は考えず、ただただ「そういうもの」と受け止め、考えるのは「その事態にどう対処するか」のみ。まずはとにかく物理的に実務を回すことのみに注力する。

その間、本当に、いろいろあった。それはもう阿鼻叫喚の日々、文字通り棘の道であった。

承認欲求の高さはイコール、プライドの高さでもある。彼は「できていない」と指摘されることを異常に厭う。注意されると表面的には謝罪するものの、次の日ふてくされて来なくなる。何度も注意すると頭を抱えて泣き喚いたりする。いずれも成人男子の行動である。あなたが精神科医でもない限り、こういうのを幾度も目の当たりにしてなお感情を無にするというのは、訓練なしにはほぼ不可能なものだ。

しかしそれでもなんとか少しずつ、本当に少しずつではあるが実務が回るようになると、不思議なことに、彼の良いところも徐々に見取ることができるようになってきた。

当たり前だがどんな人間にも良いところはある。しかし負の視点が大きすぎるうちはどうしてもネガティブな感情が勝ってしまい、なかなか長所へ目を向けることができない。それでも少しでも良いところが見て取れれば、相手の事情や気持ちを思いやるゆとりも(微量ながら)でてくるものだ。そして少しでもプラスの要素が生まれれば、それまで負のサイクルしかなかったことも、少しは正のサイクルが生まれてくる。

そんな苦しい道のりの最中に、遠いゴールのことは考えられない。せいぜいできるのは、いま次の一歩を踏み出すことくらい。

それでも「とりあえずあと一歩」を今日、明日、そのまた次の日と続けられれば、前職は3か月かそこらで辞めた彼が今弊社では3年目を迎えている。おそらく彼の職歴では最長だ。

それは実に「無理と思った物事と根気を持って向き合った末にしかたどり着けない境地」であった。

努めたのは私だけではない。むこうもおそらく、というか絶対に、私のことは苦手だろう。ここまでの過程は思い出すのも嫌なことばかりだし、なんなら今でもそうだ。

それでも彼自身も逃げずにいたからこそ今がある。そこは大いに感謝している。

向き合った者しかたどり着けない発見と成長は確実にある。ボトルでも、人間関係でも。その過程は美しくはないけれど、その先にあるものは美しい。

だから私は自信を持って言える。

向き合った人にしか、得られないものがある、と。


このボトルの本当の美しさも、向き合うことで得られる。だから、はじめとっつきにくくても、どうかそこで投げ出さず、じっくり向き合ってみてほしい。


その奥にある、あなただけの「不完全ながら美しい花」を見つけたら、ぜひ私に教えてください。いつの日か、どこかのバーで。



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【謝辞】
今回、それまで一度も飲んだことすらなかったモートラックを表現するにあたり、富山からの帰路下車後その足で向かったキャンベルタウンロッホ様には大変お世話になりました。無知で不勉強のわたくしに優しく丁寧に教えてくださったご主人の助力なくしては成し得なかったです。深く御礼申し上げます。





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