ペーパードリップコーヒー

食べることは祈ることと似ている、というのは誰の言葉だったろうか。読んだときからずっと心にあり続けている言葉だ。
孤食はとくに、そう感じやすい。目の前の皿に載せられたすべてだけに集中すれば良いのだから。そうして食事をとることには神聖さがあり、祈ることと似ている。

ところが最近、珈琲を淹れることと祈ることが似ていると気づいた。家族で飲む珈琲を淹れているときだ。

昔に習ったとおりに容器を温め、豆をはかりペーパーにセットし、やかんで丁寧にお湯を注いでいく。キッチンにたちまち珈琲の香りが広がると、母は嬉しそうな声をあげる。安らぎのアロマ。淹れているあいだは珈琲と一対一で真剣に向き合うので、愛情をたっぷり注ぐというよりかは、美味しくなりますようにとしずかに祈りを注ぐ。お湯を注いだところがぷわぷわと膨らんでいく。面白いほど膨らむのでたのしくなる。落ちきってしまう前にはずして、温めておいたカップへ珈琲を注ぐ。

我が家はマグカップを常用しているので、コースターも準備して。はいどうぞ。

今日は豆の袋を新しくあけたところだったので、鮮度がたかく美味しいと好評だった。冷めてしまっても美味しかった。スーパーで買ってくる挽かれた豆でも、家族で集まりお気に入りのカップで飲むとじゅうぶんに美味しい。


アルバイトの同期が淹れる珈琲は苦味がつよい味だった。私の淹れる珈琲は苦味もなく酸味もなくまあるい味。淹れる人で味は変わる。それが面白い。その人にしか出せない加減があるということ。美味しさの枠を越えなければ、個性があるのは素晴らしい。

もしかしたら淹れる人の感情さえも、影響するのかもしれない。
ささやかな幸福をこめて、祈るような気持ちで珈琲を淹れたい。

今の自分自身に必要で大切な
暮らしのなかの時間。

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