【短編・書簡体】カルチベート
そこには、固い土があって、背の低い雑草が所狭しと生えている。私は、それを一つ一つ丁寧に抜いていた。根っこを残さないようにしながら、腰を曲げて抜いていた。その隣で、綺麗に日に焼けた児童養護施設で暮らしている13歳の男の子も雑草を抜いていた。そのさらに向こうでは、約20名の若者や子供が、広々と佇み、こじんまりと腰を曲げ、雑草を抜いていた。
ここマレーシアは、少ない国土に不毛の土地が多く眠る国だ。現代では、だからと言ってそう困らない人も多くいるのだろう。詳しいことなんて知らないが、しかし実際に困っている子供たちはここにいるのだ。
児童養護施設、といいながらも、そこはいわゆる孤児院であった。親に捨てられた子供たち、経済的な理由で一緒に暮らせない子供たちが、所狭しと肩を並べ一緒にご飯を食べている。そういうところだ。
昨日から、その間に私たちは入って、さらに所狭しとなりながら、笑いながら飯を食っていた。そして今日、共に田んぼを作ろうと腰を曲げはじめたのだ。食堂ではあんなに近かった肩が、今はとても遠い。それでも呼吸が聞こえてきそうだ。ここにいるみんなの、この汗だけでも、この土地がどれほど潤されるのだろう。
笑うとあんなに細くなるまぶたを、私は懸命に見開いていた。雑草は全然減ってくれない。
今日一日で終わるわけがなかった。そして、明日だけで終わるはずもない、と思われた。その時だった。
「ねえ、夜は冷えるよ?」と、13歳の彼が私に上着をくれた。
当然言葉などわかるわけがない。けれども、彼が何を言っているのか、私にはとてもよくわかった。何より上着は暖かかった。
もどかしさがあった。「ありがとう」ってどう言うのだろうと考えた。そんなこと、これまで考えたこともなかった。心の中を一生懸命に掘り起こして、結局、日本語で「ありがとう」と言った。彼には伝わったようだった。笑っていたし、照れてくれた。すこしだけ、心に抉れた感覚が残ったが、やがてそれは柔らかく、暖かい感動に変化していった。私は愛に触れた気がした。だから、さっきまでの思いとは裏腹に、「それでもやろう」と思った。私はその夜よく眠り、次の朝にはご飯をよく食べた。20名を超える大団円は、その後で、蜘蛛の子のように、昨日と同じく散らばって雑草をむしった。
そうしたらなんと、その日だけで、除草が必要な区画全ての雑草が無くなった。終わったのだ。陽が傾き始め、涼しくなり始めた。雑草が無くなった地面の上で、最初で最後の鬼ごっこをした。明日にはこの地面は、走ることができくなるからだ。
次の日、私たちはその土地をえぐり始めた。踏み固められ、雨さえ沁みない頑固な地面は、やがて褐色の内側を見せてくれた。私たちはそれを喜びながら、笑いながら作業していた。けれども、そこらじゅうに固い石や、どこからともなく伸びてきた木の根っこが見つかった。石は取り除けばまだよかった。台車で運び出して取り除いた。だが根っこだけは、こればかりはどうすることもできなかった。その日はその部分を避けて作業が行われた。根っこは、本当に遠くから伸びてきていた。その部分だけ、地面は白いままその日は終わった。
私たちの心に、その根っこのせいで白くなった土地と同じ大きさの穴があいた。私たちは、ここで子供たちの役に立ちたかったし、それが何かに邪魔されたみたいで腹立たしかった。その時だった。
13歳の彼が、ランブータンを持ってきて切り分けてくれた。他の子供たちも、仲間に切り分けていた。切り分けたそれを私に渡して、彼は私の隣にちょこんと座った。私の肩にも届かない頭の先が、右に左に揺れていた。とても楽しそうにしていた。見つめる先には、あの土地があった。彼の瞳にはすでに、この土地の未来が写っているのだ、と思った。きっとそうだった。夜の暗幕は、完全に私たちから外界の景色を奪っていた。そこには何も見えなかったが、彼は迷わずそこを見ていた。
「こんなに進んだんだね!みんながいてくれて嬉しいよ。」彼は、夜風を受けて清々しそうに、きっと、そう言っていた。
昨晩の抉れた心がまた少し痛んだ。より深くまで、何かが手を伸ばして掘られているような感覚がした。ぎゅっと胸に手を当てた。そしてまた、「それでもやろう」と思った。
次の日、私は雑草を抜いていた。一部の人は、昨日と同じく掘り起こす作業を続けてはいた。ただ、根っこの関係で、必要な広さになるように土地を計り直した結果、また草むしりをする必要が出てきた。それがわかった時、みんなの顔がくもった。
私はすぐさま名乗り出て、草をむしり始めた。そして、分担での作業、一部は昨日のつづき、一部は草むしり作業、が始まった。
連日の作業、そしてストレスとなるやり直し、思った以上にみんなの手が進まなかった。私も思うように体が動かず腹が立っていた。すると、すぐ横で誰かが草をむしった。さっきまで掘り起こし作業をしていた、例の13歳の男の子だった。
「え?なんで?」と言って、彼を見つめていると、彼は指をくいっと動かして、「周りを見てよ」とジェスチャーした。全員が草をむしっていた。
これは後で知ったことだけど、私が率先して草をむしり始めた時、子供たちの中で最年長の女の子がみんなを集めてこう言った。
「よし、分担しよう。掘り起こし作業は昨日の途中からで、範囲も狭まったんだから半日かからない。さっさと終わらせて草むしりに合流しよう。今日で全部、ちゃんと終わらせよう!」
日本人ボランティアのみんなもその意図を汲み取っていた。私だけが知らなかった。私はなんだか嬉しかった。みんなが所狭しと、肩をぶつけながら雑草を抜いていた。それからは、本当にあっという間に草がむしり取られ、なんと掘り起こし作業までその日のうちに終わってしまった。
次の日には、そこら一帯が泥だらけになった。そして、ちゃんと“田んぼ”と呼べるものになった。私たちはこの土地を耕したのだ。連日の作業はあっという間に過ぎ去っていき、最後に苗を植えてから、私たちはみんなで、足を田んぼに突っ込んだまま写真を撮った。
そして、大好きな子供たちに別れを告げて、今飛行機に乗っている。飛行は安定してきたから、文字を書くのも難しくない。なんと言う一週間だっただろう。苗まで植えたのだ。しかし、今写真を見返すと、やはりまだまだ田んぼになりきっていない、と思う。今後、何度も苗を植えて、土地そのものが養分を蓄えるようになって、苗に慣れ始めていって、ようやく田んぼとして立派に成長するのだ。その頃には、13歳の彼は大人になって、もしかしたらお父さんになっているかもしれない。飛行機の外は夜が訪れ、窓の外の翼も見えなかったが、そのおかげで、私は今、あの彼が成長した姿をそこに思い描くことができる。
すこしだけ心がまた抉れている。くしゃり、くしゃりと、砂が風にまって、やがて柔らかくなって、心が形を失っていくのがわかる。けれども、そこから何かが湧き出してきて、私の心を潤わせている。それは目に届いて、まさに今、まぶたの裏から視界を滲ませている。
暗闇に浮かぶ、大人になったあの男の子の、凛々しい姿のその横に、自分はその頃どうなっているだろう、と考えて見ようとする。けれども、中年期の自分を描くには顔料が足りない。もう少しだけ、心を掘り起こして、耕して顔料を揃えないといけないようだ。それができた頃には、きっとあの田んぼには、みのるほどにかしらをもたげる稲が、所狭しと並んでいることだろう。
九月某日 JAL-OO-XX便機内にて
私の思いを綴る